僕がスカウトされて、相撲部屋に入ったのは16歳の時でした。
実家は秋田市内で、郷土料理店「秋田藩」を開いていました。
両親も相撲好きで、僕は小学生のころから相撲の選手で、15歳で背も165cm近くあり体重も80キロはありました。
が、その頃にはもう童貞を失っていました。
うちの店で働く仲居さんが、小学校の頃から物凄く気に入られて、オモチャやお小遣いなどをよく呉れたのです。
バツ一で、41歳で独身でお店の近所のアパートに住んでいました。
学校から帰るとお菓子やおもちゃの誘惑に負けて、毎日オバちゃんの家に遊びに行っていました。
夏休みでお昼ごろから遊びに行き、汗でビッショリの僕を見て二人で「お風呂に入ろう」と誘われました。
アパートの風呂ですから狭く、木で出来ていました。
全裸になり、彼女が入ってくるとは思っていませんでした。
僕は12歳で陰毛も生え、チンポもかなり大きく、朝勃ちするくらいで、夢精もしたことがあります。
身体を洗ってもらうと、オチンチンが太くなり立ってきました。彼女もオッパイを身体に押し付けて、陰毛でお饅頭型のオメコを触らせると、完全に勃起しました。
包茎でまだ皮が剥けてはいませんが、その奥さんが剥いてくれると白い滓のついた赤い亀頭が出てきました。
手で奇麗に洗ってもらっているうちに、気持ちがよくなり2,3分で精液を飛ばしていました。
直ぐに上がり、お布団の敷いてある和室で、すぐに寝転んで、またも勃起したペニスに挿入をされました。
それが生まれて初めての性交です。それからは学校の帰りに自宅よりはその人の家に立ち寄り性交していました。
お店は夜からで5時までに入ればいいので、3時から4時半までは毎日性交して楽しんでいました。
セックスの快感で、だんだん相撲の興味が無くなってきたのですが、朝練には午前6時に行き、毎朝稽古だけはしていました。
16歳の時に大相撲が地方巡業で秋田県に来ました。
親方衆が地方の子供相撲を見学に来て、すでに176㎝で86キロの僕が気に入ったようで、店に親方が来て「東京に来ればうちの部屋で面倒をみます」と両親を説得、16歳の冬に上京しました。
両国の部屋はかなりの大部屋で、横綱も大関もいました。
僕は最初から夜間の学校に行き、朝は6時に起きてちゃんこ鍋の料理を用意して朝の練習を見ていました。
17歳から本格的に親方が指導をしてくれました。
力士になる資格検査も1回で通り、すぐに弟子として頑張りました。
その年に先代が、引退した横綱に部屋を譲り新しい親方が誕生しました。
31歳で、博多の料亭の23歳のお嬢さんと結婚して部屋を継承しました。
僕もなんとか頑張って、5年間で関取と言われる地位まで行きました。
ただし身長が181cm、体重が105㌔では小兵なんです。
関取の2年目に身体を壊して、仕方なく部屋の料理番になりました。
秋葉原にチャンコの店を親方が出し、26歳の僕と奥さまが経営者に名を連ねました。
親方が社長なんですが、物凄くモテル人なので、あまりお店には顔を出さず、いつも銀座のクラブや地方では料亭通いをしていたようです。
銀座のママと出来ているらしく、ある写真週刊誌にすっぱ抜かれました。
うちでは奥さんに「あれはまったく関係ないから」ととぼけていたようです。
子供も出来ないし、奥さんも不信感はあったようで、夜のお店が11時に終わると、いつも私を連れて近所の小料理屋に行きました。
僕は28歳でまだ独身でして、アパートで独り住まいでした。
ある夜にお酒が入って酔っ払った奥さまが、僕のアパートに立ち寄ったのです。
その夜はお着物姿でしたが、「気持ち悪いのでお水を一杯飲ませて」というので、仕方なく1DKの狭い部屋に案内しました。
着物を脱がないと気持ちが悪いと言いながら、帯をほどきました。
本当に下着姿の奥さまは色白で、オッパイの膨らみが目に入りドキドキです。
「きくちゃん、私を抱いてよ」と突然に言われました。
「奥さまそれはいけません、親方にばれたら怒られますよ」
「うちの人は愛人がいるし、地方では数十人の恋人がいるみたいで、私とのSEXはもう2年も無いの、だからお願い、何かあったら私が責任を取るから」とお酒に酔った奥さまが唇をよせてキッスをしてしまいました。
36歳の奥さまはいまだに独身のように、全身が真っ白で乳房も崩れず、陰毛も日頃からエステで手入れしているようで、ヴィーナスラインも逆三角形にカットされていました。
「ああ凄いです」初めて目にする奥様の秘部は想像以上に複雑な形をしています。
溢れ出した愛液が秘唇をたっぷりと潤わせて、その奥には赤みを帯びた肉の塊が見えました。
大きな乳房に吸い付くと、乳首と乳輪が膨らみを増して、全体を揉むとぐにゅっと、指が純白の丘に沈み、肉の形があれこれと変わって行きました。
肉列をペロペロと舐め、舌で小陰唇のふちをなぞるように行ききさせると、その瞬間に奥さまは熱い息を吐くのでした。
彼女の秘奥は中までドロドロになり、泥濘の海に指を入れると、直ぐに収斂してわななきで絞めつけます。
陰茎はもう我慢できません。ねじくれた樹木の様なペニスを、ズぼっと卑猥な音を立てて、濡れそぼった膣洞に怒涛の如く侵入させました。
奥さまの膣はいきなり絞めてきて、そこの肉は愉悦に啜り泣いて、抑制していた背徳の悦びについに声を発するのでした。
「あううあうう〜、あああ〜ん、ふわ〜っ、オ××コが痺れているよ〜、どうしてなの〜、気持ちがいいわ〜、もうイッチャウヨ〜、イクイクイクいく〜」
声を震わせて叫ぶと、一度息遣いを止めて、身体を突っ張らせて「おおおおおう〜目が回るよ〜」
獣が絶息するような唸り声を上げて、わなわなと全身を痙攣させて、ぐったりとなりました。
彼女の呻き声とわななきに、僕も同時に膣の奥に精を発射させていました。
「今後のことは私に任せてチョウダイ」と言い、翌週にはお店のそばに2LDKの高価なマンションを購入して、僕を住まわせて、週に2,3回はセックスを続けました。
それから2年たち、親方が愛人のマンションで性交中に、脳溢血で倒れ、49歳であの世に旅立ちました。
お通夜の夜と、告別式を終えた夜は、奥さまは狂ったように僕を求めて一晩中SEXをしていました。
本当にチンポとマンコが腫れてましたから。
奥さんがむかしの大関をしていた人に、部屋を三億円で売り飛ばして、今は静かに僕と生活しています。