戦災孤児の女の子たちは、残念ながら悲惨だったらしい
子供だけではなく、20代前半までの「身寄りの無い独身女性」は
収入を得る手段は「最後の手段」のみだったらしい
叔父が昭和20年代後半「赤線」に通っていた頃には、そういった女性が沢山居り、色々話を聞いたと。
それでも各自が部屋を持ち、アパート暮らしの若妻といった印象だったと。
茶箪笥があり火鉢があり、ラジオがあって鏡台があって・・・
馴染みになった女性の部屋へ上がると、浴衣・丹前が用意してあり、
風呂から上がれば冷たいビールと小鉢があって、
夜が更ければ夜鳴きそばを取ったり、本当にリラックスできたと・・・
世間一般は「性交渉のみが目的」と考えていたらしいが、
実際にはそんな「安らぎと心の結びつき」があってこそ、初めて満足が得られたと叔父は懐かしむ
顔の美醜や床上手がどうかも大切だが「一夜妻としての健気さ」に何より愛情を感じたと・・・
思えば銀座のホステスなんかも同様だ・・・
女らしさ、労りの心がある女性は、良い成績を残しているし、年齢が進んでも立派に仕事をしている。
最近は若いだけが値打ちのホステスが多くて、居心地の悪い思いをする事がある。
「最後の手段」のみ
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