うちの母親は元モデルだ。彼女は美人じゃないが、いい身体をしていたので健康雑誌や婦人雑誌、エロ本の写真モデルをしていた。ヨガや美容体操系の本ではレオタード姿でポーズしていた。レオタードが股に食い込み割れ目がくっきりと浮き出た写真を見て幼稚園児の俺は勃起した。輸入ランジェリーのカタログではスケ巣スケのレースのパンティーやメッシュのボディースーツで陰毛が丸見えだった。小学生の俺は勃起不可避だった。...
昭和の頃に俺はまだ子供だった。雑誌やTVに出てくるエロい物を見ると何故チンチンが勃つのか不思議だった。でも悪い気はしない。下着,水着,レオタード,ヌード,バニーガール衣装,ブルマ,ふんどし,前貼り………程度の差は有れどどれも勃起の原因になる。男なら誰でも見たいと思うはずだ。俺は幼い頃からエッチでスケベな少年だった。身近にエロい気分になれるのは母の裸だ。風呂では母の股間に意識が集中した。母は陰...
スタジオポーク
RK-2
ゴールデンバズーカ
ミツミツにく
子供の頃に母と姉と入浴していた。姉の股間には割れ目が一筋見えていた。母の股間にはモジャモジャと毛が生えていて性器は見えない。きっと毛の奥には姉よりも長い割れ目が有るに違いない。なんとかして見られないだろうか?まだセックスの事も知らない子供だがマンコには興味が有った。母が裸になると目で追うようになっていった。母は風呂上がりに暑がってなかなか下着を着けない。全裸で家中を歩き回る。丸出しだから俺は...
中学生のころ家族旅行で露天風呂に初めて入ったときのことだった。1泊して朝6時に起きてしまった僕は部屋のテーブルに[露天風呂行ってくる]と書いた置手紙を残して 昨晩父と入った外の光景が綺麗な露天風呂に1人で向かった。誰もいなくてすぐ素っ裸になり湯に突撃した。朝の寒さと湯の熱さがたまらなくよかった。ずっといたいなぁと浸っていたとき脱衣所のほうから物音がして父が追ってきた(?)のかと思った。1分し...
昭和40年代~50年代にかけて、母親がストリッパーをしていた。裸になるのが仕事なので、時々ピンク映画の撮影にも「前貼り」をして参加していた。ある日、母親の勤務するストリップ小屋にアメリカ人のジェニファーが加わった。金髪で青い眼、向こうではポルノ女優をしていたらしい。股間は金髪の陰毛がビッシリと広い範囲に生えていて、まるで「金色の毛皮のフンドシ」みたいだった。ピンク映画の撮影の直前、楽屋では俺...
福島の農村だが、どうやら戦後すぐまでは夜這いはあったよう。 祖母(町人)は満州から引き揚げてきて、 祖父がシベリア抑留から帰ってくるまでの戦後何年かの間は 祖父の実家(農家)で暮らしてたけどちょっと聞いた感じでは 主に後家さんの家などに夜這いがあったらしい。 母系が残っているかはわからんが、じいちゃんの実家もそうだし 他の家も長女が継ぐ姉家督は普通にあった。 多分、夜這いはあったんだろう...
今から40~50年位前は夏の銭湯帰り人妻達がノーブラで 胸チラ、乳首チラがよく見れましたれた夏の風物詩でもありました 昔は、銭湯の番台に男が座ってたり、洗い場に工事の職人がいても、こんなモノだって感覚だったよ。 トイレだって男女同じ所が当たり前のように有った 行楽地なんて季節で客の増減が大きかったからか、男女同じ所ばかりだった オッサン達が小便してる後ろを通って女たちは大便所に入ってシャ...
今と昔とでは規制が大きく変わっている。 今は規制が厳しい。昔は規制が緩い。 約30年前にテレビのバラエティーで美浜町裸祭りの存在を知った。 暈しは入っていなかったので、チンチンも金玉もチン毛も完全に写っていた。 さすがに大きく写ったりはしなかったが、見えていたのは確実。 当時は暈しの技術は発達していなかったしレポーターは男性だったし、 (暈しの技術も発達もしていなかったレポーターも男性だ...