列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人蝦夷族)と渡来系部族の混血だ」と言われていて、天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)は渡来系弥生人だった。
神話においては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約・性交による群れの一体化の儀)」と言う。
つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳である。
天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)の二神が、夫婦(めおと)に成り、後世に伝承される各地の祭りの神楽舞の面(おもて)として残った。
天狗(てんぐ)は「天の犬(狗・こう)」の意味で、描かれている衣装は、天狗、からす天狗の別を問わず、修験山伏の衣装姿で、修験と犬神が一体である事を物語っている。
当時、誓約(うけい)の古事は民族和合の誇るべき神事だった。
だから誓約(うけい)の精神に従って、「戦いを止めてベット・インをしよう」の誇るべき古事の為、神楽舞の面(おもて)、古くは天狗の鼻が男性器を表し、オカメの口は女性器を表していて、神楽舞台上で合体の為にサイズが合わされているのが本式である。
祭事として「神懸かって舞う」下りは、新旧民族の融和(誓約)の象徴を精神的に祝う神への奉納の舞である。
奈良県明日香村・飛鳥坐神社には天狗とおかめの情事(ベッドシーン)を演じる「おんだ祭り」があるが、これも明治維新の文明開化前は、「日本全国で祭礼をしていた」と言われる。
この誓約(うけい)の精神は、時代が下って行くと、争う敵将を味方につける為の「政略結婚」に変化して行くのである。
大和朝廷成立前後の古(いにしえ)の日本列島は、民族(部族)の坩堝(るつぼ)だった。
古い時代に住み着いた在来部族と、後期に渡来した進入(流入)部族の生きる為の争い。
その手打ち式が天の岩戸の宴席、岩戸神楽だった。
日向の地で決戦に破れ、高千穂の天岩戸で手打ちを行い、誓約(うけい)を持って、心身ともに和合する事で「両者統一に向かった」とするなら、ドラマチックではないか。
異民族の王同士の結婚、これは民族の和解を意味し、双方が滅びないで済む。
究極の和解であり、民族同化の象徴である。
この誓約(うけい)の概念が、実はその後の二千年の永きに渡り、日本の民の形成に大きな影響を与えて行くのだが、それはこの物語で追々記述する事になる。
性行為は自分が楽しむものであり相手を楽しませるもので、人間誰しも、楽しみを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられる。
https://jiyodan.exblog.jp/7956483/
部族間交渉イコール戦争ではなく誓約、つまり性交による群れの平和的一体化の儀式
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