私の性的体験記(8)社会人‐花巻温泉事件


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毎週水曜日と土曜日に洋子とは食事を共にし、その後来客(生理)時以外は必ず性交を楽しんだ。この交際は特に隠す様なことではなかったので、社内的に知られることになった。工場のボイラーマンの竹内氏から私が居ない場面で洋子は
「どうだ、彼氏にちゃんと棒であそこお掃除してもらってるか?」と
今日ではセクハラともいえる揶揄いを受けたりしてたそうだ。洋子は生理の間隔が38日と長く、基礎体温を測ることで排卵日を特定し、その時以外は生の性交、膣内射精であった。正常位、騎乗位、そして肛門と洋子のマンコに私のチンポが抽挿される様子が詳らかに観察できる後背位による性交を楽しんだ。洋子の本気汁は濃厚で、彼女の家で性交後帰宅する頃には。チンポに残ったマンコ汁が乾き、ぽろぽろと取れるのが常であった。

ある日、性交前の前戯をしていると時、洋子が私に
「あそこを舐めてあげようか?」と
尋ねたことがあった。何かの雑誌でした知識の様だった。
「うん」と
私が即答をすると、流石に恥ずかしかったらしく
「冗談だよ」と
洋子は笑って誤魔化そうとしたので、この時とばかり、強く迫ると、はにかみながらも、洋子は私のチンポを咥えてくれた。初めての経験であったが気持ちは良かった。後年私は今の妻、純子のフェラチオを経験するが、純子の巧みなそれは、稚拙な洋子のフェラチオと比べると快感の度合いが全く異なることを、この時は知る由もなかった。技術的に稚拙なためであったか、自分のチンポをしゃぶらせたという高揚感はあったものの、口内射精には至らなかった。

2年程の交際の後、私たちは結婚し、性生活はほぼ毎晩行った。特に第二子を生んだ後は、避妊リングを着用させたので、生出しが常であった。熟睡中に洋子の肛門を悪戯したことが少なからずあった。性交後下着を着けずに寝込むことが多かったので、ある晩肛門に指を挿入してみた。驚いたことにその時、直腸内に便があることが分かった。面白半分にその便を指で掻き出してみた。私の親指の先ほどの大きさの便が出てきた。臭かった。

また、洋子には肛門性交を試みたことも何回かあった。何れも本人が痛がるためにチンポの先を入れることもできず、何回か未遂で終わった。ある晩、2回ほどの性交を楽しんだ後、洋子はあまりにも熟睡してしまい、気付かれずに、私は洋子との肛門性交に成功した。それはある意味、昏睡強姦に近かった。亀頭に対する肛門の括約筋の締め付けは膣より数段に強く、彼女のマンコでは味わえない新鮮な感触であった。しかし亀頭がすっかり埋まってしまうと直腸の中は膣とは異なりすべすべした感触で、特段の快感が感じられなかった。そこで亀頭の部分を浅く刺し、きつい締め付けを亀頭でじっくり味わい、思いっきり男汁を尻の穴に噴出した。かくして若干の疑念が伴うマンコの場合とは異なって、洋子の肛門処女は私が確実に頂いた。その後、再度後ろから尻を抱えマンコに挿入し、その晩4回目の性交を味わった。あとの2回は、つごう2時間ほどたっぷり時間をかけた性交であった。その翌日の昼過ぎ、洋子に昨晩肛門を犯して射精したことを話すと、
「通りで今朝はお尻の感触がおかしかった」と、
感想を言っていた。その後時折肛門性交もしたが、それよりマンコに挿入しながら肛門に私が指を突っ込んで、直腸壁を押しながらチンポを抽挿することを私も洋子も好んだ。
私と性交を楽しみながら洋子はどこまで本気かわからなかったが、他のチンポも味わってみたいと何回も言っていた。私との結婚期間中はそれは許さなかったが、代わりに葉巻のアルミケースを他人棒代わりに何回か入れてやったことがあるが、細くて雁もないのであまり喜ぶようなものではなっかた筈である。今にして思えば、せめて大人の玩具ぐらい使ってあげれば良かったかと思う。

話しは変わるが、洋子の故郷である花巻は、新幹線が開通する前にはL特急で上野から約6時間半、かなりの遠方であった。そんな洋子の実家を訪れた時、洋子の両親と4人で花巻温泉に一泊で訪れた。何ていう名前の旅館であったかは今では記憶にないが、渓谷に面し、浴場が複数ある比較的大規模な旅館だったと思う。尤も花巻温泉郷の地図を見るとほとんど全ての旅館が渓谷/川に面しているので、今ではどこであったか知る由もない。当時でも珍しくはあったが、幾つかある浴場は全て混浴であった。

旅館に到着して私は洋子と大浴場に向かった。混浴とは言え、脱衣場は別で、残念ながら子どもの頃銭湯で楽しんだ女性客のストリップショーは拝めなかった。脱衣をした私は旅館のお仕着せのフェイスタオルで前を隠し浴室へ入った。暫し遅れて、洋子もフェイスタオルで胸から全面を隠すようにして、浴室にやって来た。正面から見れば裸体は見えないが、背面は全く覆われておらず、生尻は丸見えであった。そこには、うっかり前屈みになろうものなら、マンコから尻の穴まで、他人に見せてしまいそうな危うさがあった。浴室内には女性よりも男性の方が多く、概中年の小父さんで、近在の農夫か何かに見えた。

そうした中、洋子は格好の注目の的であった。身体を洗う時には、どうしてもフェイスタオルを外す必要があり、おじさんたちを楽しませたに違いないが、私としては何もしてやれることはなかった。暫くして、洋子の母親も浴室にやって来た。50歳を回った義母の身体はそれなりに崩れた様子であったが、しっかりとデルタ地帯の陰毛と生尻を見させてもらった。

さて入浴を終えた後、私は館内の探検に出かけた。昔ながらの旅館は、トイレが核客室内にはなく共同であり、男女の区別すらなかった。便器は当然のことながら全て和式であった。ただ古すぎたのかトイレの個室の仕切りには、下に隙間がなく、個室内の床は外より20㎝ほど高くなっていたが、扉の下に3㎝程の隙間があるだけだった。これではドアの下からの覗きは、何時、誰がやって来るか分からない状況下で、リスクが高すぎて無理であった。ともかく個室の一つに入ってみた。目を凝らすと前面の壁に貼られた杉板の節穴部に、目立たないように穴が穿ってあった。これはと思いその前の個室に入って目を凝らすと、やはり穴が開いている。覗くと後ろの個室が丸見えであった。更に、扉にも覗き穴があり、トイレの利用者の顔も確認できることがわかった。折しも運よく、後ろの個室に中年の女性が入って来た。覗いて見ると、陰裂が緩んで膣口が丸見えの使い込んだマンコを見せつけて、用を足して下さった。余談ながら、これはあくまでも私見であるが、この巧みな覗き穴の技術は特に東北地方では発達しているように思えてならない。最近は流石に見かけなくなったが、昔は二つ合わせの新幹線車両(100系または200系)のトイレなどにも良く覗き穴があけられており、特に東北新幹線にそれは多かった。かく言う私も新幹線のトイレで、他人が開けた覗き穴を介して、何人かのマンコを拝見させてもらったものである。

余談はともあれ、これはいけると確信をもって私は部屋へ戻った。ところが、私が確認した個室はその後、何時行っても使用中であった。どうも同業者が「尾篭(おこもり)」している様子であった。そんな状態の中、寝る前にトイレに行ってくると言って、部屋を出た私の後を追って、洋子が「私も」と付いて来た。嫌な予感がしたが、的中。彼の個室は使用中で、有ろうことか4つある個室の内、彼の個室のすぐ後ろの個室に洋子は入ってしまった。先に用を済ませた私は部屋に戻ったが、洋子がなかなか帰ってこない。暫くして、やっと帰って来たので
「随分遅かったじゃないか」と
言うと、
「便秘気味だったうんちがすっかり出たので、快適、快適」と
何も知らない当人は、ひどくご満悦であった。が、その実は、見ず知らずの男に、それも多分「おっさん」に、本人が知らぬまま大股開きしたマンコを存分に見せ、加えて排尿ショーや脱糞ショーを演じてきたに違いなかった。特に脱糞が難産で時間を要したということは、その長い間マンコを相手に見せていたことであろうし、例の扉の覗き穴から顔をも確認されたことであろう。今の様にデジカメやスマホ、小型ビデオカメラがない時代であったのが、せめてもの救いであった。・・・続く。

 

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続き:  私の性的体験記(9)社会人‐剃毛と無毛症

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