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思い出の愛人~その1~ナッチ


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私と妻は田舎のお隣さんで、お互い一人っ子同士、小さい頃から大きくなったら結婚するという雰囲気で育ち、親もそんなもんだろうと思って接していた。
私が高2、妻が中2の時、納屋の2階で初体験して以来、親の目を盗んで納屋の二階でセックスをしていた。
私が高3、妻が中2の時に見つかって大騒ぎになり、将来は本当に結婚する約束をさせられた。
私25歳、妻22歳で結婚した。
妻は西田ひかるに似た美人なので、お隣さんでもなければ私では結婚できなかった上玉だと正直に思う。
現在、妻は47歳だが、今でも西田ひかるばりの可愛い美貌を保っている。

結婚して7年の時、私の両親と妻の両親が連れだって旅行に出かけた。
そして、その道すがらのツアーバスの事故で4人とも亡くなった。
私と妻はそれぞれ農地を含む不動産を相続したが、その数年後から始まった土地区画整理事業という魔法で、元々二束三文だった農地が大きな財産に変わった。
土地の面積は半分になったが、利用価値が格段に上がり、土地をショッピングモールに貸したり、学生向けのアパートを建てて不動産収入で生活している。

私と妻には、それぞれ二人ずつ愛人がいる。
私は女子大生、妻は男子大学生で、全員奨学金で学ぶ苦学生だが、私達の愛人でいることで、アパート代と光熱費はかからない。

私にはかつて、倫子(ともこ)と奈津美という2人の愛人がいた。
倫子をリンコ、奈津美をナッチと呼んでいた。
愛人を持つようになって10年になるが、このリンコとナッチは思い出深い愛人で、撮影したエロ写真を雑誌に投稿することもOKだった。

ナッチは初めて持った愛人で、小柄でショートカットの中学生のような童顔娘だった。
大学生になったばかりの18歳の体は幼児体型で、妻以来23年ぶりの処女喪失を経験した。
今思えば、この時にハメ撮りするという発想があったならと後悔している。
撮影して投稿したのは、ナッチが快感を覚えてからだった。
あんまり可愛いから、セーラー服の夏服を買ってきてコスプレした。
その姿が、まんま中学生のようだったので、セーラー服姿のナッチのスナップを撮っていた。
そしてそのままエッチへなだれ込み、なし崩し的に撮影して初めてのハメ撮りを経験した。
そして、素人のエロ写真を投稿する雑誌の存在を知り、ナッチの許可を得て投稿した。
美少女だと雑誌でも評判だった。

その後、ナッチを軽く縛ったり、バイブで逝かせ続けたりする写真も投稿した。
可愛い純情マンコから潮を噴き、ビクビクしながら気絶した。
マンコ苛めは激しさを増し、もう、恥ずかしいという感覚は薄れてただ快楽に身を預けていた。
セーラー服が似合うショートカットの女の子が、清純そうな顔をだらしなく歪めて、中年チンポの餌食となって雑誌の紙面をにぎわしていた。
もちろん、目にはモザイクがかけられてナッチが誰かは簡単には分からなかったが、それでも雑誌に自分の痴態が載ると、それだけでマンコを濡らしていた。

純情マンコもマンビラが伸びて色付き始めた頃には、逝かせつづけるだけじゃなく、逝く寸前で焦らすイジメを楽しんでいたら、
「逝かせてください、オマンコ奴隷になりますから逝かせてください。」
などと言いだし、緊縛セーラー服少女となった。

この時ナッチ大学3年生、学校が忙しくなってきたので、もう一人新しく1年生の苦学生を囲った。
以来、ベテラン愛人と新人愛人の常時二人態勢を続けている。
因みにこの二人目の女子大生も処女だったが、撮影はNGだった。

 

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