さて、母の脱糞姿を楽しむ目的で明けた我が家のトイレの覗き穴は、私にとっては、一義的には繰り返し母の脱糞姿を楽しむことが出来るラッキーホールであったが、他の恩恵をも、もたらしてくれた。このトイレを利用する他の女性の下着を下した尻も覗けるという事実である。家庭のトイレだけに、その対象はいずれも良く知っている顔見知りの小母さんやお姉さん達であった。顔見知りの女性の恥ずかしい姿を、本人に知られることなく覗き見するのはワクワクすることであった。
記憶にあるのは…;
中村の小母様: 祖母の兄の娘で、栄子という小母さんが居た。栄子には息子が居て、そのハトコと私は同い歳であったから、私の親世代の中年の小母様である。ある日、大伯母と連れ立って我が家にやって来た。到着後、まず大伯母が小用を足し(これはかなりの婆さんだったので流石にスルー)、次いで栄子小母様がトイレに入ったので、早速生尻を拝ませてもらった。栄子小母様のシャガミ方は、ちょっと特徴があり、相撲の蹲踞と同じで、踵を付けず爪先立ったような形で腰を下ろした。足をべったり床に付ける母のシャガミ方と違って、必然的に尻の位置が高くなり、斜め下から覗く様に開けた覗き穴からは、陰部全体があからさまに露呈しているのが見れた。ラッキー、私は栄子小母様のマンコと尻の穴、更にはマンコから迸出る排尿まですっかり見せて頂くことになった。
吉田美夢: 「みゆめ」この一寸変わった、しかし少し素敵に感じる名前の持ち主は、私の幼馴染の一人である。私より2歳上。早生まれであったので3学年年上の彼女とは、学校に上がる前は、二人の父親に連れられて銭湯へ行くことがしばしばあり、彼女の幼いマンコの割れ目は何度も目にしたものであったが、「お医者さんごっこ」などをするような仲ではなかったので、あまりじっくりとマンコを見たことはなかったし、ましてや三枝子ちゃんの様に、尻の穴やマンコを開いて中を見せて貰うこともなかった。この頃彼女は女子短大生。既にどういう訳か私と同い年の彼氏があり、親に隠れて二人で泊りがけの旅行をする様なこともあったので、もう処女でないことは分かっていた。
ある日のこと、その彼氏の問題で悩んだ美夢の母親が美夢を連れて(既に片親であった)晩に家にやって来て、両親と何やら相談していた。部外者である私は、話に加わらず自室で机に向かっていたので、話の内容は良く分からなかったが、結局美夢だけがその晩、家に泊まっていくことになり、母と同室で就寝した。
夜半に誰かトイレに立った。母か、美夢の何れであった。まだ起きていた私は、早速覗きにむかった。覗き穴から覗くと美夢の桃尻と尻の穴が見えた。小用を済ませても美夢は立ち上がらない。やった・・・それが意味するのはただ一つ。脱糞である。いきむ様子が伝わって来、肛門が膨らみ、やおら太い大便が顔を出した。肛門から20㎝程垂れさがった大便は硬度があったのか(多分水分が少ない)先がJの字を書くように前方に曲線を描いた。ゆっくりと3本ほどの大便を放り出すと美夢は、トイレットペーパーを巻き取り尻の始末にかかった。肛門を拭き終わるところまで覗くと、私は自分の部屋に退散した。
平田(旧姓)さんのお姉さん: 吉田さんの家に間借りしていた平田さん親子(母と娘)の娘さんである。縁が薄く40歳位まで独身であったが、私に生尻を見せてくれた時には見合いを経て、年配男性の後妻となり暫らくたった時期であった。旦那は50歳過ぎで、余り良くは知らないが、40歳過ぎとは言え、彼にすれば10歳以上年下の若い女性で、二人目であろう処女をものにするとは羨ましかった。その日、母と平田のお姉さんは連れだってどこかへ出かけていた。夏休みということもあり、私は居間でテレビを見ながら留守番していた。と、開け放った窓から庭越しにピンク色のワンピースを着た平田のお姉さんが一人、速足でこちらに来るのが見えた。その切羽詰まった様子から、直感的に尿意が差し迫っているのが感じ見て取れた。呼び鈴が鳴り、玄関に出ると彼女は早口で、
「○○ちゃん、お母さんは途中で買い物をしてくるので少し遅れてくるわ。トイレ貸してくれる?」
「どうぞ、どうぞ」
私には願ってもない、鴨がネギをしょってやって来たような話である。平田のお姉さんがトイレに飛び込むと直ぐに私は足音をわざと立てて居間に戻ったように見せかけ、直ぐに忍び足で気付かれないように注意をしながらトイレの前に戻ると、覗き穴から中を窺った。既にお姉さんは下着を下し、尻丸出しの姿で、凄い勢いで排尿をしていた。小ぶりの尻で、尻の穴は白日の下に丸見え。前回トイレに入った時に着けてしまったと思えるティッシュ滓が肛門回りに見て取れてたのはご愛敬であった。すっかり生尻と排尿姿を楽しませてもらった。
永島純子: 従姉の純子は、この頃日本交通公社に勤めており、親が何か旅行のための国鉄の切符を依頼したらしく、夕方それを届けに来、家で夕飯を食べて行ったことがあった。当然のことながらトイレも利用し、その折生尻を見せて貰った。彼女はその時丁度生理で、ナプキンの交換をする姿を見せてくれた。
渋谷八重: 渋谷の小母ちゃんは、父の勤め先の女性で、50代の行かず後家。50代の時、ノイローゼ(今でいう鬱病)にかかり頼れる身寄りが近くにいないため、父が面倒を見て、数カ月間我が家に来て、母が面倒を見ながら療養をしていた。私が高3の時である。間違いなくそのトイレ姿を覗いている筈であるが、不思議とその記憶はない。ただ、入浴時に全裸姿を覗いたことだけが記憶にある。我が家には脱衣所がなく、台所で居間との間の襖を閉め、脱衣及び着衣をすることになるが、その場所と私の部屋の入り口の襖は直線状にあり、間に私の部屋の襖以外遮蔽物はなく、部屋の電気を消して襖を細目にあけると気づかれることなく、脱衣、着衣の様子が覗けた。ある晩風呂から出てきた八重の全裸姿を私は自室から覗き見た。貧乳の母と違い大きな乳房を持っており、骨盤の発達も良かった。陰部は陰毛で隠され黒いデルタ地帯に陰裂は確認できなかった。
八重については、面白い実験をしたことがあった。向精神薬に睡眠薬を併用していたのか、私の個室の隣の客間で寝る八重は、何時も大鼾をかいて熟睡するのが常であった。ある晩のこと私は学校のクラブ活動で使う薬品庫からエチルエーテルを小分けにして持ち帰り、ビニール袋に入れたタオルにたっぷりそれを染み込ませ、袋の開口部を彼女の口元において、薬物昏睡を試みた。約20分後に袋を回収し、ゆすっても起きないことから麻酔の効果を確認した。ただ何時目を覚ますかわからなかったので、その時は何もできなかった。翌朝何時もなら7時頃起床する八重は午後3時頃まで目を覚まさなかった。十分過ぎる効果である。私はこの方法で薬物昏睡ができることを確信した。
本当のところは、八重を昏睡させて、無抵抗状態にした上で、ショーツを剥ぎ取り、見たくてしょうがなかった大人のマンコを自分で開いて中をじっくり観察したいと考えていた。決して美人と言える御面相ではなかったし、高校生であった私にすれば、50歳過ぎの八重は言わば婆さんの部類である。しかし、大人の女は、女。性的対象としては「可」であった。行かず後家であることからして、当時の社会通念上は必ずや処女に違いないとも思えた。だから更には昏睡状態をいいことに、彼女のマンコに自分のチンポを挿入して男を味わわせてあげること・・・50数年の彼女の人生で初めての男性経験を童貞の若い男根を嵌め込むことによってさせてあげたい。・・・等と勝手な恩着せがましい理屈を考えたりしていた。実のところは、ともかくは、相手の女性が大人であるなら、そのマンコを使わせてもらって自分が筆おろしをしたいだけというのが本音だったのだが。流石に素人の薬物使用は危険であること和知っていたので、連日はまずいと思い、様子を見ながら実行を見送ってしまったため、チャンスを逸し、この筆おろし作戦は未遂に終わってしまった。暫くして八重は、高円寺にあった自宅に戻ってしまったのである。残念・・・続く。