大人のマンコが見たい、という要求は私の心の中で燻り続けた。その思いを遂げるために自宅のトイレ覗きはともかくとして、外に打って出ることにした。私は近くの球戯場に目を付けた。その球戯場には4か所ほどトイレがあり、全て男女別であったが、どれも入ると個室の壁の下には覗きに適した隙間があることを私は知っていた。そのうちの南東角にあるトイレは観客席から専用の階段を降りたところにあり、トイレに行く人しかその階段を利用しないことと、球戯場の端にあるため利用者が少なく、球戯場の客席からは入り口付近が直接見えない死角になっている等、好条件がそろっており、隙を見て女子トイレに潜入するのが、容易であった。そこで私はトイレの入り口に続く階段近くのベンチに腰を下ろし、試合を見ながらマンコを見せてくれる良い鴨(獲物を)が来るのを待ち受けることにした。既に母親の脱糞姿を日常的に覗くようになっていた時期なので、それは高校2年の10月、いや11月頃の日曜日であった。
暫く待ち受けていると眼鏡を掛けた中年の女性が北側から通路を歩いてきた。よく見ると驚いたことに、中学時代の理科の教師、天野先生であった。先生は私に気付かず前の通路を通り過ぎたので、私もそれほど親しかった訳でもない天野先生には声掛けや挨拶はしなかった。多くの人は通路を通ってもコーナーを右に曲がり正面の方に歩いてゆき、左手のトイレへ行く人はそれまで皆無だった。が、天野先生は違った。嬉しいことに先生は左に曲がったのである。それを見た私はすぐに立ち上がり、先生の後を追った。
天野先生はアラフォーの先生で理科を担当していた。どちらかと言えば地味な感じの先生で、恐らく独身であったと思われた。それはともかく、久しぶりに見た天野先生であったが、挨拶の機会を逸してしまったので、代わりに彼女のおマンコにお目通りしようと言う訳だ。
トイレに向かう階段を降り切ると、ちょうど女子トイレからドアの閉まる音がした。躊躇なく私は女子トイレに滑り込むと、3個ある個室の中央の個室のドアが閉まっていた。私はその前の個室に直行し、戸を閉めると壁の下にある隙間から手鏡を使って、天野先生の個室を覗き込んだ。鏡の画面いっぱいに、まばらに毛の生えた、ぷっくらした先生のマンコが写し出された。大陰唇、小陰唇のはみ出しのない一本のマン筋、そして割れ目から勢いよく迸る一条の黄金水。私は排尿を続ける天野先生のマンコをじっくり見ながらチンポを扱いた。やがて天野先生は排尿をおえ、几帳面にたたんだトイレットペーパで丁寧にマンコを拭くと、立ち上がり着衣を直して外へ出て行った。30秒ほど経ってから、私もトイレを後にした。
その後1回だけこのトイレで、他の大人のマンコを見せて貰った。しかしもっと安全に「大人のマンコ見」が出来る所を見つけ、更に球技の試合がある時のみ利用できるそれ以降このトイレを利用することはなくなった。新たに見つけた「大人のマンコを見て楽しめるスポット」は、我が家のすぐ傍にあった。隣家の中田家の先に表通りに続く路地に出られる木戸があった。木戸を開けて外に出ると、右手に元医院であったと思われる木造2階建ての白色の建物があった。この元医院が、私にマンコ見をさせてくれる格好の場所となった。
この元医院は、医者であったご主人が他界し、残った夫人が女性専用の間貸しをしており、何人かの女性が一緒に住んでいる模様であった。木戸を開け外へ出ると官舎の万年塀と元医院の建屋の間に半間ほどの隙間、医院の敷地があり、路地に面して同じく普段使うことがない木戸があった。この木戸は壊れていて動かなかったが、私一人がすり抜けることが出来る空間を開けた状態で固定されていた(常時その状態に保たれた)。このわずかな隙間は秘密の空間につながる言わば抜け穴で、夜10時を過ぎれば奥まったこの路地の突き当りにまで、人が来る気遣いは無用で、私の目的には完璧な空間であった。この建屋のトイレはその隙間に面しており、どうも廊下から扉を開けると男性用小便器室、更にもう一枚戸を開けると和式の大便器兼女子用小用便器がある個室へと通じる構造らしかった。
女性用個室の下部には掃き出し口があり、便器に跨ると、その掃き出し口は正面になる位置関係であった。その引き戸を開くと覗き込んだ私の目の前に、用を足しに来た女性は下着を自分から下ろし、大きく股を開いてそのマンコを見せながら用を足すことになる。照明も明るく申し分なかった。掃き出し口を全開にしておいても、誰も気に留めず、その状態が長く保たれた。
最初の日、私は掃き出し口の窓を向かって左側に寄せ、全開にして、大人の女性がマンコを見せに来るのを待った。20分ほど経過したころであろうか、廊下を歩く足音がして、トイレの明かりが点いた。私は頭を右手にし、尻を木戸に向けて四つ這いになってトイレの中を覗き込む姿勢で、マンコを見せてくれる女性の登場を待った。個室の戸が開き、女性が登場。便器をまたぐと衣擦れの音を立てて、ショーツをずりさげ、刹那女性の下半身が下りてきた。彼女は話こそしたことがないが、良く路地ですれ違っていた言わば顔見知りのお姉さん(多分20歳代)であるのが分かった。その彼女が私にマンコを披露してくれる筈であったのだ・・・!が、その陰部は、ものの見事に金隠しの影に落ち着き、私からは全く見えないではないか。金隠しとはよく言ったものである。しまった身体を奥に置き頭を左手にして四つ這いになり覗くか、窓の左側を開けておくべきであった、と思った時には後の祭りであった。気配を悟られたら元も子もないので、私は身動き一つできず、排尿の音を聞くだけで、「マンコ見」はお預け状態に追いやられた。
翌日、前日の失敗を糧に、「身体を奥に置き、頭を左手にして四つ這いになり覗く姿勢」で吐き出し口前で待ち構えた。昨晩とほぼ同じ時刻にお姉さんはトイレにやって来た。四つ這いで待ち構える私の目の前にお姉さんの丸出しの股間が下りてきた。今度は成功である。明るい照明の下、お姉さんのマンコが目の前に現れた。陰毛は薄く、はっきりと陰裂を見せていた。小陰唇のはみ出しがなく、ぷっくらとした一筋の大人のマンコから尿(ゆばり)が噴出した。三枝子ちゃんの時と同じで、全く尻にはたくらなかった。小用が済み、どの様な拭き方をするのかと思っていると、お姉さんはそのまま立ち上がった。
「えっ!?子どもでもあるまいに、おしっこした後、拭かないの?」
という思いが頭を過った。一呼吸置いて、トイレットペーパーがおちてきたので、それは杞憂であった。身支度を整えて、お姉さんはトイレを後にした。その晩は期待通りに大人のマンコを見ることが出来たことに大満足であった。
かくして、その後、繰り返しそのお姉さんのマンコと排尿シーンを正面から見るようになった。路地でお姉さんとすれ違うのは稀で、顔を拝むよりは遥かに高頻度で彼女のマンコと排尿を拝むようになっていた。お姉さんは排尿を終えると何時も立ち拭きであった。
そんなある日、私はこのお姉さんがどのようにマンコを拭いているのか興味を持ち、少し身を乗り出して、小用を終えて立ち上がったお姉さんの下半身を見上げた。その時彼女は白いショーツを膝上まで下げ、マンコ丸出しで立った状態であった。右手にトイレットペーパーを持ち、マンコを拭き出した。それはかつて見た天野先生と違い、優しくマンコにペパーを当てて残尿を吸取るというのとは程遠く、執拗に強くマンコを擦る感じで、単にマンコを拭くという行為ではなく、明らかにマン摺り(自慰)行為に思えた。きっと気持ちがいいんだろうなと思えた。
そんなある晩のことである。何時ものように私にマンコ見せと排尿ショーをご披露したお姉さんであったが、その時は排尿を終えても立ち上がろうとしなかった。
?…?
不思議に思って見ていると、突如脱糞が始まった。母親、美夢に続く、3人目の大人の女の脱糞ショーである。次々と放り出されるうんこ。脱糞と同時に何時にない長時間、前から覗く私に彼女はマンコを露出し続けた。やがて脱糞を終えた彼女は、さすがにその時はしゃがんだまま肛門とマンコを拭きとった。
その後何十回となく立ち拭きのお姉さんの大人のマンコは、間近から見せて貰った。2年ほどして少し大胆になった私は便所手前の廊下の窓を少し開けておき、トイレに来る直前のお姉さんの横顔を見てやろうとした。これが失敗の素であった。お姉さんはトイレに来て電気を点けた瞬間黙ってユーターンした。どうも彼女の視野に私が入ったようだ。一瞬の出来事であったので誰だか分らなかった筈ではあるが、異常を感じた彼女は大声を立てずに誰かを呼びに行った様だ。以上を察した私も、素早く木戸を抜け官舎の木戸の内側に身を移すとその後の様子を窺った。暫くして2~3人の女性が外に出てきて懐中電灯で木戸から吐き出し口付近を照らし、「もう誰もいない」とか話していた。しかしそれ以上の騒ぎにはならず、無事に済んだ。
1週間ほどしていってみると吐き出し口の戸はしっかり閉めてあった。私は再度全開にするとその日は引き上げた。あくる日行くとまた掃き出し口の戸は閉まっていた。・・・これはダメだと確信したので、二枚ある掃き出し口の戸の1枚を外して持ち帰り、離れた球戯場の裏手の草むらにそれを捨てた。また1週間ほどして、行ってみると吐き出し口の開口部にはべニア板が立てかけてあった。そこで翌日、錐を持って出かけ、そのべニア板に覗き穴を開けた。やがて立ち拭きのお姉さんがやって来た。彼女は覗き穴に気付かず、久しぶりにまたマンコを見せてくれた。その時は小用を済ませても立ち上がらず、そのままの姿勢でマンコを拭いた。何時ものように強くマンコを摺り、最後に右側の大陰唇をつまみ陰門を少し開くしぐさをしたのが印象的だった。この時をこの場所での最後の「マンコ見」とした。…続く。