実は兄の子供


44文字数:1937

夫と結婚して5年くらいはタイミングを見てセックスしても全く種が付かずに夫は相性の問題なのか、不妊なのか、と勝手に悩んでいるようだった。私は子供は別に夫との間に作らなくても良いかも、と思っていたので特に気にしてはいなかった。結婚8年目くらいの頃、何かの用事で実家に帰った時のこと。実家には3歳年上の兄が結婚してすんでいる。結婚してすぐの頃は実家近くの家を借りて住んでいたが、金銭的負担が厳しかったのと両親が高齢になったということで実家に帰って来ていた。
私は用事を済ませた後、久しぶりに兄と2人きりで出かけた。義姉は特にそのことを気に留めることもなく兄妹の微笑ましいデートになった。
兄が車を出してくれてその助手席に座って世間話をしている流れで夫との間には子供ができないかもしれない、と言う話をしたところ、兄は「試しに俺と子作りしてみないか?」と提案してきた。私は危険日だし、兄相手なら良いかも、と思い、提案を受け入れた。兄は車を家から離れたラブホテルへ走らせて1番安い部屋に入った。部屋選びの理由はこのラブホテルには豪華な部屋もあったが、特に豪華さと言うよりは兄と子作りできれば良い、と思ったからだ。
兄と2人で久しぶりに風呂に入り、互いの体を流した後、早速ベッドへ入った。兄は私の膣を丁寧に手や口などを駆使してほぐしてくれてすぐに分泌液で濡れた。夫とのセックスではこのようになることはないので兄のテクニックはすごいのだろう。兄は私の膣の準備が整ったと判断したのか、夫の陰茎より数倍はあるのではないかと、という巨大な陰茎を私の膣に挿入してきた。当然、大きな陰茎なのでお腹の奥の方を押し広げられるような感覚があったが、痛みはなく、夫の陰茎では届かないような場所まで到達した時の快楽は凄まじかった。
1番奥にあたった後は兄は私が痛がっていないか丁寧に確認しながらピストン運動を始めた。陰茎が引き抜かれるたびに膣内の肉が引き摺り出されるような感覚がして逆に奥を突かれるたびに快楽が電撃のように全身を駆け巡っていた。
私は早くも絶頂が近づいて来ていて兄はそれを察知したのか、ピストン運動が速くなった。そして初めて失神しそうになる絶頂を体験した。兄は私の絶頂に合わせて奥深く、子宮目掛けて射精してくれた。そのまま抜かずに第二戦に突入した。絶頂して分泌液の量が増えたのと、大量の精液のため滑りが良くなっていたので第二戦は最初から激しいピストン運動で快楽の渦に引き摺り込まれていた。気が付けば数えきれないほど絶頂してたっぷりと兄の子種を子宮に受け入れていた。
兄との子作りで分かったのは夫は陰茎が小さく、絶対的な弾数が少なく、テクニックもなく、単調にただ、自分の快楽を求めているだけの行為であると言うことだ。それに対して兄とのそれは陰茎が十分大きく、圧倒的に多い弾数、テクニシャンで相手の反応を見て確実に相手の事を絶頂させることができるのだ。
ホテルに入って3時間が経過していて支払った料金分の子種を子宮に受け取ったので兄と風呂に入って服を着せあって実家に帰った。
私は家に帰ってからもし子種が付いていた時の隠蔽工作として夫と子作りをした。

しばらくして少し体が怠いような感じがしたので妊娠検査薬を使用すると見事に妊娠していてその事を兄に報告すると嬉しそうだった。
夫にも報告して一緒に近くの産婦人科を受診して妊娠していることが確定した。
それからは悪阻などと戦いながら生活は両親と兄夫婦に助けられながら何とか約10ヶ月後に双子の女の子を出産することができた。

夫は双子の女の子を見てまるで自分の子供のように接していたが、多分、娘たちは兄との子供だと思っていた。そのことは娘たちが6歳の頃に夫に内緒でDNA検査をして確定した。夫には申し訳ないが、この時点で夫は単なるATMと化していたが、鈍感で自分勝手な夫は気付くことがなかった。
娘たちが小学校に進学した頃にもう1人くらいは欲しいな、と思い、夫に言うと夫もそのように思っていたようで危険日にやろうと言うことになった。もちろん兄にも同じ相談をして3人目も危険日に兄と子作りをした後に夫と形ばかりの子作りをして今度は男の子が生まれた。
夫は跡取りが生まれたとか古臭いことを言いながら血の繋がりが全くない子供を愛でていた。
子供たちは成長するに連れて私たちの遺伝子を色濃く受け入れている容姿になっていった。近親相姦での子作りだったので病気とか心配していたが、特に問題なく娘たちは成人を迎えた。

夫には死ぬまで子供たちが夫のDNAを持っていない事を伝えずにいるつもりだったが、ずっと胸の内にしまっておくのも勿体無い気がしたので投稿した。

 

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