「いつまで寝てるんだよ。ほら、早く起きな」
妻の涼子に起こされて、慌ててベッドから出た。でも、すぐに今日は休日だと気がついた。今日は休みだけどと伝えると。
「知ってるよ。ほら、今日は発売日だろ? 並んで買うって言ったじゃん」
涼子は、すっかりと出かける準備を終えている。言われて思い出したが、今日は息子のオモチャの発売日だ。最近夢中で見ている、戦隊ヒーロー物の合体変形ロボの発売日だ。
今回の番組は評判もよく、発売されるオモチャは争奪戦みたいになっている。まだ2歳の息子には買う必要もないような気もするが、楽しそうに遊ぶ姿を見るとつい甘やかしたくなるのだと思う。
妻の涼子は35歳で、僕より7歳年上の姉さん女房だ。性格も、中学の頃からバレーをやっていて、すっかり体育会系のノリが染みついている。
ずっとインドア派だった僕は、すっかりと尻に敷かれてしまっている。でも、正直その方が楽だと思っているし、僕の性格にはマッチしているので何の不満もない。
妻の涼子は、口調や性格がきつめと言うこともあり、その抜群のルックスからは考えられないくらいに男性経験が少なかった。彼女自身も恋愛にはさほど興味もなかったようで、大学に通うようになるまでは男性と交際したこともなかったそうだ。
そんな彼女と僕が知り合ったのは、僕が学生の頃していたフードデリバリーの仕事だった。彼女はお客さんで、よく利用してくれていたので、週に1回程度は配達する感じだった。
都心部から少し離れたエリアだったこともあり、配達員が少なく、利用する人もあまり多くなかったことで、よく顔を合わせることになったのだと思う。最初に届けたときは、言葉遣いが男みたいだなと思った記憶がある。でも、ビックリするくらいに綺麗な人だなと思った。
「いつもありがとう。お疲れ様。自転車だと、キツいでしょ」
そんな風に声をかけてくれるようになったのは、5回くらい配達した後だった。てっきり怖い人だと思っていたので、優しい声をかけられて驚いてしまったことをよく覚えている。
それからは、配達するたびに色々声をかけてくれて、多少雑談みたいなこともするようになった。フードデリバリーの仕事は、基本的にあまり人間扱いされない。冷たい態度を取られることも多い。まったく無言で受け取る人や、薄く開けたドアから手だけ出して受け取る人もいる。
どうして置き配にしないのか不思議だが、利用するお店によっては置き配を選択出来ない事もあるみたいだ。でも、それならメッセージで置き配にしろと指示すれば良いので、そこまでして対面で受け取るのも謎だなと思ったりする。
ただ、デリバリーの時間が夜から夜中にしていたので、あられもない姿で受け取る女性のお客さんもいたりして、たまにはいいことがあるなと思ったりもしていた。下着みたいな格好で受け取る女性や、身体にタオルを巻いただけで受け取る女性もいた。
考えてみれば、置き配にせずにわざわざそんなことをしているのは、もしかしたらプレイだったのかもしれないと思う。露出プレイみたいなことをする人は、けっこういるのかもしれない。
彼女はいつもすっぴんで、パジャマみたいな服で受け取ることが多かった。それでも驚くほど綺麗な人だと思ったので、本当に美人だったと思う。最初は怖いと思っていたけど、配達するのが楽しみになったりしていた。
あるとき、どうして置き配にしないんですか? と聞いたら、
「だって、お礼言えないでしょ。せっかく持ってきて貰ったんだから、ありがとうって言いたいもん」
と言われた。僕は、この時に彼女に恋をしたのだと思う。淡々とこなす作業になっていたバイトが、彼女に会うのを楽しみにやるようになった。と言っても、ストーカーみたいに思われるのもイヤなので、あまり態度には出ないように気をつけながら配達していた。
フードデリバリーは、スマホに指示が飛んでくる。店の名前と、だいたいの配達先が表示される。詳細情報ではないので、彼女の家とは限らない。でも、だいたいわかるようになっていた。発送先の店や、大まかな住所、それで彼女の注文だろうなと予測がつくようになった。
彼女は、パスタとホルモン丼が好きだった。そして、仕事で遅くなったときにやむを得ずに使うので、深夜寄りの時間帯だ。
遅い時間にホルモン丼の指示が飛んでくると、テンションが上がるようになっていた。すぐに承諾ボタンを押して詳細を確認する。すると、名前で彼女だとわかった。
もう、浮かれ気分で自転車を漕いで店にピックアップに向かった。
「お疲れ様です、お気をつけて!」
店の人に送り出されて、いつもより少し強めにペダルを漕ぐ。もう、恋する彼女に会えるのが嬉しくて仕方ない気持ちだった。でも、インターホンを鳴らしてオートロックを解除して貰い、彼女の部屋の前に立つまでには気持ちを落ち着けた。
浮かれて届けるのも気持ち悪いだろうなと思い、いつも通りにお待たせしましたという挨拶から入った。この頃になると、いったん新規の指示が飛んでこないように、アプリを操作して新規受付中断にしていた。彼女と雑談が出来るかもしれないので、次の配達に追われないようにという工夫だ。
「いつもありがとう。今日は忙しいの?」
笑顔で受け取りながら、話しかけてくれる彼女。今日は、平日のわりに忙しくて、この配達前までは発注が途切れていなかった。でも、ヒマですね~と答えた。
「そうなんだ。ヒマだと、バイト代も減っちゃうんでしょ? 大変ね」
そんな会話を続ける彼女。今さらだけど、渡したホルモン丼が二人分だったことに気がついた。浮かれていて気がついていなかった。誰かいる? 彼氏? 僕は、慌てて話を切り上げようとした。
「一緒に食べない? 間違えて二人分頼んじゃったの」
まさかの提案をされた。そして、ホッとした。こんなに美人なので彼氏がいるのは間違いないと思うけど、それでも夢を見たいと思っていたので、心底ホッとした。でも、さすがにお客さんと食べるのはマズいと思った。バレたらクビになるかもしれない。
でも、僕は本能に従って、良いんですか!? と嬉しそうに聞いた。実際、嬉しかった。
「逆に助かるわ。二人分食べたら太っちゃうもん」
そう言って、部屋に招き入れてくれた。もの凄くドキドキしたことを、いまでも覚えている。彼女の部屋は、2DKのちょっと古めのマンションだ。中はとても綺麗に整理整頓されていて、シンプルな部屋だった。
女の子っぽい物は置いてなく、言われなければ若い男性の部屋だと思う感じだった。
「そこ座って。ゴメンね、こんなのことお願いする人、いないでしょ」
彼女は申し訳なさそうだ。さすがに、こんな経験はしたことがなかったので、初めてですと答えた。でも、お腹空いてて嬉しいですとも言った。
「それならよかった。ちょっと待って、飲み物持ってくるね」
彼女はそう言って、隣の部屋に行った。たぶん、キッチンだと思う。さすがに、ちょっと不用心だと思ってしまった。デリバリーの人間を部屋に一人にするなんて、警戒心がなさ過ぎると思った。
彼女は、炭酸水をコップに入れて持ってきた。そして、二人で食事を始めた。変な気分だった。まさか、運んできたものを自分で食べるとは思っていなかったし、こんな風にお客さんの部屋に上がることがあるとは夢にも思っていなかった。
「ホルモンは好き?」
積極的に話しかけてきてくれる彼女。僕は、好きですと答えた。そして、ホルモンならここが美味しいとか、注文が多いとか、知っている限りの情報を提供した。
「さすがに詳しいわね。色々なお店知ってて、彼女さんも喜ぶでしょ」
何気なくそんなことを言われて、いや、まぁ、とか照れてしまった。すると、
「どんな子なの? 彼女さんは」
と、話を流さずに詳しく聞いてきた。まさか、本当に僕なんかに興味を持っている? と、驚きながらも、彼女はいないと答えた。
「そうなの? ヒロミちゃん、イケメンなのに」
そんな風に言われて、かなり驚いた。名前を知っているというか、覚えていることにビックリした。確かに、注文する側のアプリには、配達員の名前が表示される。でも、ローマ字とかだったはずなので、名前を認識されることはない。実際、名前で呼ばれたことは一度もないし、ウーバーさんとかウーバーの兄ちゃんと言われることがほとんどだ。
僕は、正直にビックリしたと伝えた。
「そ、そう? だって、表示されるから」
少し頬を赤くしながら答えた彼女。僕は、他の配達員の名前も把握してるんですか? と聞いた。この時は、ただの好奇心で聞いた。深い意味はなかった。
「も、もちろん。でも、だいたいヒロミちゃんだから」
顔を赤くしながら答えた彼女。なんか、照れているような顔が可愛いなと思った。
逆に、彼氏さんはいないんですか? と、聞いてみた。なんとなく、僕のことばかり話すのは申し訳ない気持ちだ。
「う、うん。普通よ」
ぶっきらぼうに答えた彼女。やっぱり、彼氏はいるんだなとガッカリした。でも、当然だとも思った。そして、こんな風に部屋に上げたらマズくないですか? と聞いた。ガッカリしながらも、本気で心配したのを覚えている。このタイミングで彼氏が部屋に来たら、大変だと思ったのだと思う。
「大丈夫」
やっぱりぶっきらぼうな彼女。僕は、なにが大丈夫なんだろうと思いながらも、話題を変えた。やっぱり、話題はデリバリーの話になる。こんな経験したとか、こんなお客さんがいたとか、僕の話を楽しそうに聞く彼女。
まったく知らない世界の話は、聞いていて面白いのかもしれない。僕も、彼女がニコニコ聞いてくれるので、熱心に話を続けた。
「それって、襲われたりしないのかな? だって、そんな格好で挑発したら、やられちゃっても文句言えないでしょ」
タオル一枚で受け取る女性のことを話すと、そんなコメントをしてきた。確かに言うとおりだが、逮捕されちゃうと言うと、
「でも、それって誘ってるんじゃないの? ヒロミちゃん、イケメンだから」
と、言われた。照れてしまいながら、イケメンなんかじゃないですと言うと、
「そんなことないでしょ。こんなに綺麗な顔してる男の子、見たことないわ」
と言われた。確かに、僕はよく女顔だと言われる。でも、イケメンと言われることはない。二重まぶたでまつげも長いので、本当に女みたいに思われることが多い。言い方はあれだけど、あまりに女性寄りすぎて、気持ち悪いと思われるのかもしれない。
「でも、こんな風に部屋に上げてる私も、やられちゃっても文句言えないわね」