徳川幕府の将軍の性事情すげえwwwwwwwwwww
大学で研究したんだけどさ、これがすげぇんだよ。
聞いてくれ
まず将軍家って、正室が赤子に乳やったりはあんまりしないそうで、授乳のために、若くて可愛いヤンママを雇うの。
大体十代中盤とかな。
なんで若くて可愛い必要があるかと言うと、若殿の性教育係も後々兼ねることになるから
性教育が始まるのは、若殿が大体八歳くらい。
まだ二十歳前後の乳母(しかも幕府が国中から選んだ美女)がショタのチンコをマッサージしたり、舐めたりする。
しかも乳母は複数いる。
精通前だからさぞドライオーガズムを経験できるだろう。
さらに
あらゆる方法でチンコを鍛えさせられる。
紐で縛ったり、ヌメヌメした海藻の汁で擦られたり。
勃起を維持させられたり。
小学校高学年の男子がだぜ。
しかも
ある程度形になると。
プロの剥き師(やっぱり美女)に優しくむきむきされる。
無事完了したら次は
妊婦からチョイスすんだよ。
ちなみにこの乳母の子どもは将軍様の乳兄弟で出世確実になるわけ。
剥けたら剥けたで、次はパイズーリ、本番が始まる。
毎日毎日だ。
相手は美女の乳母。
まだ精通前な。
春日局はこれをやって出世したってことか・・・
ふぅ・・・
10~12の少年が、国内有数の年上美女と毎日本番。
射精しないから券じゃにならないし、そりゃめくるめく快楽の日々だろう。
さてそんなある日、少年も初めてほとばしる。
もちろん日課中に中にだ
つまり将軍家の男子はほとんどみんな初めての射精が生中出しなわけだ
ちなみにこの時、子どもが出来たら、それはそれで大事に育てられる。
神君家康公の血脈だからね。
大体将来は幕府の要人となると。
吉宗とか、分家は近いけどもう少し軽いかな
さて、この時から乳母とはセクロスしなくなる。
大人になったと見なされるからだ。
多分寂しかっただろうね。
赤ちゃんのときから可愛いがってくれて、成長したらやらせてくれた優しい女性を失うわけだ。
この性教育にはもちろん政治的理由がある。
大事な将軍家の跡取りだから、いっぱい子孫を残さないといけない。
だから性を鍛えることは、武芸や学問を納めることと同じくらい大事だったのだ。
将軍家は子どもが多いほうがいい。
世継ぎにならない子どもは地方の有力武家に養子に出す。
無理やり押し付ける
送られたほうは嫌でも、その子を自家の跡取りにするしかない。
そうすると実質、その武家はそこから徳川の血脈になる。
こうして徳川家は血による日本支配を実施していたのだ
徳川幕府の性教育、性事情
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