日本人の本源性はどうして培ってきたのでしょうか。
2000年におよぶ性生活のありかたと闘ったあとの和合の方法にヒントがいくつかあるようです。
日本の村落では、「夜這(よば)い制度」や「寝宿(ねやど)制度」、「お祭り」などが発達し、独特な村落集団婚で全村で身内気分となる精神に拠る集団社会を実現して、老人も子供も女性も村のみんなで面倒を見るというルールだったのです。
性行為は自分もうれしくなり、相手にも喜んでもらえるもので、人間誰しも、喜びを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられるものです。
和解の性交(和合)は争いから信頼に変える手段で、それが日本に古くから伝わる「誓約(うけい)」の根本精神です。
また性交は異部族を一つの群れに和合させるものであったようでした。
性交を伴う忠誠のあかしとして誓約が行なわれていました。
この誓約(うけい)の概念が、実は二千年の永きに渡って日本の民の精神形成に大きな影響を与えて行ったのです。
今回はこの「誓約(うけい)」について研究しましょう。
日本書記や古事記のような神話や伝説には、「誓約(うけい)」は忠誠を示す為のもので、誓約(うけい)を行って、新たなる神や子供が誕生する話が多いことがわかります。
一般的には、誓約(うけい)を「占いの結論や神に対する祈りの誓(ちか)いの事だ」としているようです。
しかし実は性交を伴う忠誠のあかしが「誓約(うけい)」であるということが推測されます。
「古事記・日本書紀」の根幹を為すものは、「誓約(うけい)神話 」だということです。
つまり性交は異部族を一つの群れに和合させるものとして機能していたということです。
日本には大陸から次々に個別の集団が渡ってきました。
二つの集団が平和的に合流するには、誓約(うけい)の概念に拠る「集団婚」が適切で、実態は双方をつなげる「集団内フリーセックス」だったのです。
「集団社会」での誓約(うけい)の性交は警戒心を解き、安心して人間を繋ぐことになりました。
戦争(殺し合い)よりも当然良いわけですね。
実際に、豪族や皇室の主導権争いは毒殺や暗殺が多かったという理由が理解できました。
戦争が終わってから御互い和合(性交)するというルールであれば、兵隊は本気で闘わないということになるでしょう。
武士の世の中になって、フリーセックスではない厳格な戒めが成立できて初めて本格的な戦争ができるのでしょう。
別々の集団・部族が親密さを増す究極の手段が旧観念の倫理観(愛などの観念)や独占欲(生涯一人を思い続けるなど)を超越した誓約の(うけい)による性交(和合)となります。
異民族の王同士の結婚、これは異民族同士の和解を意味し、また双方が滅びないで済むことになるのです。
究極の和解であり、民族同化が可能となるのです。
日本列島の民は、この誓約の(うけい)の性交を持って「集団の同化、融合、拡大」を図り本来は多民族であったものが単一民族へとなっていきました。
性行為は自分も喜び、相手にも喜びを与えるものですから、人は誰しも、喜びを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられるようになります。
つまり和解の性交は争いとまったく位相が異なり、否定視から肯定視(信頼)に変えるもので、それが日本に古くから伝わる誓約(うけい)の根本精神です。
この誓約(うけい)の概念が、実は二千年の永きに渡り、日本の民の形成に大きな影響を与えて行ったと考えると日本人の本源性が理解できます。
「和解の性交」により闘いの後の信頼関係へと変わる、日本人の根本精神
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