ヌードやランジェリー等、エロいネタは社会に溢れている昨今、ブルマーだけは、失くすべきじゃなかったと俺は思う。あれは、女の子が成長期の性器とその周辺を密着して覆い隠す布地なのだ。まあ、バレーボールやハンドボールでは大人の女性の股を覆っている事も有るが、やはり青少年女子のエロい衣装であろう。初めて見たのは小学校に入学してからだ。1~3年生の幼い股間は置いといて、それ以上の学年では俺はエロい目線で...
小学生の6年生の時分。隣の席に座っていた利◯ととのやりとり。ノートにバスト何センチ?と書いて様子を伺った。利◯はクラスで胸は大きい方で今思うとBカッブはあると思われるが測った事ないからわからへん⋯と質問に答えた。ブラは付けてる?と書き加えるとまだ⋯と書いた。そんなやりとりでチンコビンビンになっていた。そんなやりとりが数日続きある日、利◯がミニスカートでやってきた。細い素足が綺麗でまたノートに...
小学生の頃って、卒業するまで男女共に教室で着替えていたんだよな。 しかも水泳の授業の時も、教室で着替えて、いちいち廊下で男女二列に並んでプールまで歩いていったんですよ。 今だと考えられない。 普通に乳首も尻も、時にはマンコも見れたし、変な時代だったね。
当時は、えっちな事とは思っていなかったえっちな思い出。 小4の時、新しく担任になった先生は、毎日車で通勤してた。 その先生は、下校の時に女子1人だけを、車で送って行く事がよくあった。 送ってもらった女子は、翌日は休む事が多く、「具合が悪いから送ってもらってるのか?!」と思っていた。 でも送ってもらうのは、いつも同じ数人の女子なので、男子や一部女子は、「えこひいきだ!」と言っていた。 そんな事...
小5、6の担任の先生が新卒の女教師だった。 化粧濃かったけどそんなにブスじゃなくて(STAP細胞の小保方さんに少し似てた)、巨乳だったからエロ目線で見てた。 スカートの時は黒いストッキング履いてることが多かったけど、足組んでたらパンツ見ようとしてた。ガキのエロ目線なんてバレバレだっただろうなw何も怒らないでくれたけどね。 直接エロいこと言ったり触ったりする程の度胸はなくて、見てるだけだったけ...
庶民や農村では7、8歳頃から大人の真似で性行為をばんばんやってた 石川啄木が明治時代、岩手県で小学校の代用教員をしてた時に 高等小学校(12、3歳)の児童を調べたら 大抵の子供が、子供同士でやってた、と言う文章がある 学校でみだらな事を禁止した明治時代でそれなので、 江戸時代は野放しだったのかも
オレが中二になった時に担任の先生が新たに赴任してきた女体育教師になった。 名前は仮名で村越美穂先生。 34歳の未婚で、水泳の国体で活躍した実績もあり、オレたちの水泳部の顧問にもなった。 村越先生は昔クラリオンガールだった烏丸せつこに似た顔の水泳で鍛えた均整の取れた抜群のスタイルで、目元は小じわも全く無くて実年齢よりはずっと若く見え、キリッと引き締まった水着姿はグラドル並みの一級品だった...
ガキの頃は銭湯では小学生は普通に男湯女湯あんま関係なかったし 学校でも小学6年までは男子も女子も一緒に着替えしてて 女子が居てもプールのとき平気でフルチンで着替えてたし 男子のフルチンだけでなく 女子でも、何人かは平気で割れ目をさらけ出してて、そういうの普通だったし なかに平気で全裸になる子も一人いて、おっぱいがちょっと膨らんでいたな 昭和40年代の頃の話だよ