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さや 〜四の回〜


前回:  さや 〜参の回〜

0文字数:2850

沙耶はコーヒーを口にする。
すっかり冷めた飲み物だ。

俺は正座をしている。

そんな俺を沙耶は仁王立ちで見下ろしていた。

「ねえ、こーくん」

「ごめん、としか言えない」

「一時の気の迷いだよね?」

言葉選びに悩む。
こんな劣勢、親からも受けたことはない。でもすべては俺のせい。重々承知している。

「黙ってたってわかんないんだけど……?」

強気な沙耶はあのレンズの向こうで無垢に動く少女とはちがう。恐怖でしかない存在だ。

「ケーサツ呼ぶ?」

「いや、ま、まま、待ってくれ! それは……」

「じゃあ話せるよね?」

沙耶は地べたにぺたりと腰を下ろす。
目線が重なった。笑顔はない。俺には恐怖がある。

「……ねえ、こーくん。あたしの裸見て、なにがうれしいの?」

すげえ質問。
だが答えない。答えられないが正しい。なんせ声が出ないんだから。

「それってさ、最低なことだよ。相手の同意なく裸にして、その、アソコいじってさ。精子つけてさ」

「……はい」

「気持ち悪いよね」

俺は吹っ飛びそうだった。
言葉で殴られた。ガツンと後頭部を。鼻血が出てもおかしくない。失禁しそうな気分になった。

するといきなり、沙耶は俺の胸ぐらをつかんだ。

「セックスしたいんだ?」

「……いや」

「ウソツキ」

そう言って、沙耶はテーブルの携帯をつかんだ。
マズイ。
警察か?
もしくは妻かもしれない。

俺は走って、沙耶の手をつかんだ。

「なに?」

「や、やめてください」

「なにを? ケーサツ? お姉ちゃん? お母さん? なに?」

まくし立てるその声すべてが冷たい。
心がつららで刺されたようだ。ジワジワと痛みが押し寄せる。

「なんでもするからさ」

と、俺は膝をついて頭を下げた。

「頼むから許してくれ!」

額がフローリングに当たった。痛みはある。でもそれより沙耶の落ちてくる視線の方が何倍も痛かった。

何分の時間が流れたのだろうか?

長い沈黙を抜けて、沙耶はしゃがんだ。
そして俺の肩をつかむと、体をグイと自分の方に引っ張った。

俺は理解できないまま、ただ犯行はしなかった。

「……こーくん、なんでもするの?」

「うん」

沙耶はさらに俺を引き寄せた。
体はもう密着していた。

つまり抱きしめ合っていたのだ。

「さ、沙耶……ちゃん……?」

「あたしも子供がほしい」

「子供って?」

「今、一緒の人ね。結婚するの。誰にも言ってないけど」

「そうなんだ。で?」

「最近言われたよ。ぼくは子供ができにくい体質なんだ、って。精子ができづらいっていうのかな? 詳しくは知らないけど」

「それで精子の匂いがわかったのか?」

「そういうこと。エッチの後に精子確認したり色々したからさ」

と、沙耶はゆっくり俺を引き剥がした。

顔はほのかに笑っているように見えた。
しかし安堵してはいけない。まだ完全に終わったわけじゃないんだから。

「でも無理だよ。バレるに決まっている」

「じゃあケーサツ行く?」

なんて女だ。
そう思った。

そもそも悪いのは俺なのに、まるで立場が逆にでもなったように、沙耶を軽蔑しそうになった。

「そもそも沙耶ちゃんは結婚してないだろ? そういうのは結婚してからでいいと思うんだけど」

「うん。結婚してからでいい」

……まだわからない。

これはそもそも脅迫なのか?
状況が読めない。沙耶がわからない。

それから俺は盗撮をしなくなった。
沙耶に怯えているからだ。それから沙耶はいつものように接してくれた。家族が家族に接するような、そんな当たり前の態度だ。

一年にも満たない月日が流れて、沙耶は籍を入れた。
純白のウェディングドレスを身にまとった彼女の裸を、俺はもう想像できなかった。

結婚式、二次会を終えて、俺は外にいた。

東京なんてなかなか来れない。
いまは一児のパパ。あの盗撮魔が、だ。未だに俺は怯えている。沙耶が暴露するんじゃないかって。

二次会のレストランのトイレへ向かい出るとき、沙耶とかち合った。

「おめでとう、沙耶ちゃん」

「ありがとう、こーくん」

沙耶はシンプルな白のワンピースに着替えていた。長く美しい体はやはり変わらず素敵だ。

「新婚旅行はどこに行くの?」

「ニューヨーク。明日には経つよ

「そっか」

と、沙耶は照れくさそうに頭を掻いた。

「楽しんで来てね。俺はもうホテルに戻るわ」

「あっ、待って」

沙耶はきょろきょろと周りをうかがい、そっと耳打ちした。

「今、空いてる?」

「空く、って?」

「えー!」

沙耶はびっくりして、俺の手をつかんだ。
その時、俺の中であの日が蘇った。

「……あのさ、沙耶」

察したのか、沙耶はうなずいた。

「ふふ。今日、チョー危険日だよ」

「マジでやるの?」

「うん。そいで旦那のせいにする。大丈夫だよ。あたしもこーくんもA型だし、旦那もこーくんも目も体も細いし」

「いや、本当にマズイって」

「でも、セックスしたいんでしょ?」

ちがう。
俺はセックスじゃなく、レンズ越しのお前を愛していたんだ。無垢に服を脱ぎ、何食わぬ顔で体を拭くお前を。

「すぐ終わればいいよ。中にちょいと出してくれればさ」

「勃つかなあ。緊張する」

「あたし、結構気持ち良くできると思うよ」

沙耶は満面の笑みで俺の手をつかむと、俺の部屋へ無理矢理入った。別に夢でもなかったセックスが始まる。最悪だ。

沙耶、お前の子供なんていらなかった。

まさか本当にできるなんて。

こうして俺は二人の子の親になった。

しかし一人の子は遠くにいる。
沙耶から送られる何気ないメールは、俺にとって恐怖でしかなかった。

もう盗撮なんてしない。

さや。

代償がいくらなんでも……大きすぎたよ……

〜おわり〜

筆者:maco

 

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