昭江の恋の物語 新しい恋人との出会い
建設会社の広島専務さんと週に2~3回のデイトでした。
ショッピングを楽しんで、レストランで食事をして、バーやクラブへ出かけていました。そしてホテルでの愛情交換。
23歳の時でしたが、食事中に広島さんが15分ほど席を空けられて会社へ電話をされていました。
隣のテーブルでは、お一人で食事をされて居たお方にワインを勧められて戴きました。尾高さんでした。
電話番号を教えてくれとの事で、勤務先の番号をお教えしました。
やがて、広島さんが席に戻られ食事を続けました。
その日は食事が終わるとすぐに原爆公園の南側のホテルへ出かけました。
そこで、アルコールを少しいただきます。
その頃は広島さんも糖尿病が進行していませんでしたから、ペニスが勃起していました。
ベッドではお互いの性器を弄りながら楽しみます。
広島さんは昭江をM字開脚にさせてキスするのがお得意でした。
左右に広げてクリを噛んだり引っ張ったりです。
昭江が絶頂に差しかかりますと愛撫が止まります。
昭江も広島さんのペニスを銜えて可愛がってあげます。
ペニスを両手でしごきながらの愛撫が好きでした。
興奮が高まりますとドッキングです。
広島さんのペニスは二人で計りましたら、20センチ程でした。
昭江の中に全てが収まって往復されますととても刺激的でした。
この期間が1年以上も続きました。
デイトの時には2回以上の射精でしたから、お疲れだったと思います。
昭江と仲よくしていた期間はご家庭では奉仕活動が中断されていたみたい・・・。
数日してから、電話番号を教えていた尾高さんから日曜日に食事をしましょうと誘われました。
日曜日は広島さんとのデイトは有りませんからね。
お約束の日に、西広島駅で集合して宮島方面へドライブをしました。
宮島観光をしてから岩国へも出かける事になりました。
夕食は岩国駅前のホテルのレストランでした。
食事の後でお部屋に移ってシャワーを浴びました。
昭江の背中は彼が流してくれました。
お返しに彼のジュニアを綺麗に洗ってあげました。
昭江のベビーには彼の指先がイタズラしています。
ベッドへ移って、昭江が上向きで彼が重なってきました。
入れさせて欲しいとのお願いでした。
沢山の愛液で溢れるベビーへ彼の先端が入ってきました。
少しずつ動くのですが、昭江の愛液が漏れ出てきました。
すぐに、1回目の射精でした。射精後もペニスが昭江の中で留まっていました。
昭江のお尻は彼が抱えていますから身動きが出来ませんでした。
結局、その日には4回くらいの射精が有りました。
昭江は上向きでじっとしていました。
生まれて初めての激しいセックスでした。
彼が疲れて居眠りしている間に入浴して、内部を綺麗にしました。
彼との初めてのセックスでしたから、昭江のベビーを洗ってとは言えませんでした。
浴室から出ますと彼が目覚めていて、裸で抱き合いました。
ペニスを昭江に導いて挿入して戴きました。
数回の射精の後ですから無理だろうと思っていましたら、もう一度出そうだとのお話でした。
昭江が上になって、結合部分だけを上下しましたら5分くらいで出そうだと悲鳴を上げていました。
射精の寸前に繋がりを解いて、お口でペニスを銜えました。
お口で締めて亀頭を軽く噛みます。きつく吸いましたら、優しく吸ってくれとの悲鳴でした。
その瞬間に射精でした。
昭江がザーメンの全てを飲み干します。
十分な満足をしてから昭江の内部に指先を入れてきました。
大量の愛液でビックリしたみたいでした。
昭江はセックスをした後でお漏らしの癖が有ります。
それを言いますと、彼が大型のバスタオルを2枚重ねて敷いてくれました。僕が飲むから出してくれと言われて少しずつ出しました。
後で聞きましたら、女性器へのキスの経験はなかったそうでした。
女性からペニスをキスされた経験もなかったと・・・。
広島さんとの関係を問われましたがお食事をする関係だけだと説明しました。
20歳過ぎの女性が50歳の男性と交際するのは例外的な場合でしたから理解してくれました。
平日の夜は毎日のセックスでしたがその様な事は言いません。
それから2週間後に尾高さんと別府温泉へドライブに出かけました。
3日間でした。
ホテルへ到着の夜は食後に交わりました。一緒に入浴して浴槽のタブに腰掛けた彼の膝に乗せて戴いて後ろから挿入。
夜食を戴いてからは正常位で合体。昭江が両足で彼の身体を締め付けました。
射精後には離れないでそのままにしていました。やがて、抜かないで2回の射精でした。
このようなお付き合いが6ヶ月続きました。
尾高さんが結婚したいと言われました。独身の二人が結婚することに障害はありません。
結婚後は毎晩のセックスでした。
ベッドでの経験が豊富だと悟られ無いように、尾高さんのイニシャーチブでベッドでの交わりをしていました。
3ヶ月後に妊娠が解りました。妊娠9ヶ月頃までは毎晩の交接でした。
長女が出産後は、1ヶ月くらいの安静でした。但し、性器での交接が無いのですがお口で受け止めていました。
その、1年後に次女が生まれました。
その頃に、尾高の勤務先でアルバイトの女性と仲よくしていた様です。変な話ですが、ガールフレンドとのお付き合いを承知していました。
その方は大竹市の三菱レーヨン会社に勤務するお方と結婚されて社宅暮らしでした。金銭的な援助をお願いされてベッドでのお友達になっていた様でした。
その女性のご主人は深夜勤務で、その間に社宅へ出向いてデイトをしていました。昭江は夫が他の女性と仲よくする事には抵抗が有りました。デイトの前には昭江とベッドを共にして射精してから出かけていました。
相手のお方はご主人が朝まで不在ですから時間はタップリでした。
自分の家庭で妻を満足させてから余所へ出かけるのは止めようが有りませんでした・・・。
ところが、次女が生まれて数ヶ月後に交通事故に遭遇して事故死しました。悲しいことですが現実でした。
3ヶ月ほどは幼い子供を抱えて呆然としていました。二人の子供を育てていましたが既に妊娠中でした。
夫が死去してから6ヶ月後に出産しました。長男でした。
数ヶ月は悲しさと寂しさの日々でした。
自分の事は自分でしていました。毎晩のオナニーを復活させて寂しさを紛らわせていました。性欲を一人で解決するのは難しいです。
それぞれの生き方ですが・・・
.