昭和三十年代まで、中卒でバスの車掌になった女の子たちは、料金着服防止のための防犯検査、通称『泥棒検査』を受けなければ帰宅がゆるされ無かったのです。
検査は乗務終了後、制服を返納して、シュミーズ一つの姿で事務所のカウンターに並んでクジを引かされ、『青玉』なら通常検査、その場でなで回して検査、『黄玉』なら特別検査、シュミーズを脱ぎズロース一丁でカウンターの中へ入ってズロースのなかへ手を突っ込み性器や尻の割れ目をなで回して検査、『赤玉』なら、大きな声で『赤玉です、裸検身御願いします!』と申告させられ、『そぅれ、裸ん坊の御通りだよ。』と肩を押されて、事務所の奥の身検室(隅に三角形にカーテンをつるしただけ)に連れ込まれて、通称『女の兵隊検査』。
全裸のままで、膝を付けずに四つん這いになり思いっきりケツを突き出した格好で、ゴム手袋をした指と、棒でしつこく性器と肛門をつつきまわされ、検査を受けた後は一週間くらいひりひりしたものでした。
美空ひばりの「青春はりきり娘」と言う映画に、バスの女子車掌の、集団裸体身体検査の様子が出てくる、一列に並べられた、バスの女子車掌が、次々にホールドアップの姿勢で両手を上げさせられ、制服のボタンをはずされ、ズボンのベルトを抜かれて、ズボンが足下に落ち、ズロースを膝まで引きずり降ろされ、悲鳴を上げながら、局部に指を突っ込まれて性器、肛門の検査をされる、後ろからの描写で、直接、尻や性器は見えないが、エロ度は高い。
余談ですが、このバス車掌身体検査は昭和30年代のある事件(濡れ衣を着せられた車掌が拷問の挙げ句自殺してしまった)を境に全国的に廃止されました。
その後、昭和40年代になってワンマンバスの出現により、女性車掌自体が廃止されてしまいました。
この検査を受けた体験談を赤裸々に告白していたのは、日本人ボンドガールの浜美枝さん、彼女は、中学卒業と同時に、バスの女車掌に身を落として、名状しがたいような屈辱的裸体身体検査を、乗務前、昼食時、乗務終了後、外出先の抜き打ち屋外裸体検査と、涙が涸れ果てるほど受けてきたと波瀾万丈伝のなかで告白しています。
昭和30年代までバス車掌の料金着服防止の身体検査
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