◯島県◯尾川流域の習俗


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聟入婚(むこいりこん)は、村内婚を原型としたもので「よばい」の風習と関係が深い。
祖◯山地方では、近年(明治の末年)まで「よばい」の風習があった。
祖◯の粉ひき唄の中にも、
  臼よ早まえ廻ってしまえ
  外じゃよばいどが待ちござる
  夜這人が夜這人が外じゃ
  外じゃ夜這人が待ちござる
とあるように、かなり盛んであったことが推察される。
聟入婚は、このような「よばい」からはいるのが普通である。
     
     
若連中は、村のお宮や納屋の一間をかりて若者宿をつくっていた。
ところによれば、娘宿のつくられていた地方もあるが、祖◯山は、娘宿の跡はみられない。
単調な山村においては、若者の楽しみというのは、夜娘のいる家へ、数入が連だって遊びに行くことであった。
新麦がとれると、娘が夜なべに粉をひくが、その仕事場が若者たちの集会所となる。
ときには、大根やごぼう、いもなどを各自が持参して、ごもくすしをつくったり、雑水を炊く。
このような食物を「メオイ」というが、若者たちはこのようなものを食べながら、歌合戦をしたり、また食べくらべもおこなわれた。
     
     
男女の交際は、このような場から発展していくのである。
相手がきまると、若者組の承認において、1対1の夜あそび、すなわち「よばい」がはじまるのである。
このような「よばい」は、半ば社会から容認されていて、けっして猥せつな目でみられることはなかった。
     
     
その外の特色として顕著なものをあげると、嫁入の年令が早いことである。
農山村では、早く新しい労働力を得たいという意図から早婚が多かった。
この地方は、江戸時代に入り、聟入婚の片鱗を残しながらも、逆に嫁入婚の要素が強い面もある。
嫁を貰うことを「嫁を雇う」とか「手まを貰う」とかいうことばが残っているのは、労働力の充足手段として早婚が強制されていたとも考えられる。
祖◯山にのこる唄に、
  今年しゃ 十三 こらえておくれ
  あけて 十四で 身をまかそ
このように14、5才から嫁にやられたのである。
     
     
     
【参考】https://library.tokushima-ec.ed.jp//digital/webkiyou/18/1817.htm
     

 

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