売春は、最古の職業と言われているが、それは西洋の野獣の国のお話。古来日本には、売春など無かった。需要がなかったから。
日本で売春が始まったのは人工都市・江戸が誕生してから。人工都市ゆえ男だらけの都市になってしまったからである。日本は、性風俗に対してとても寛容な国であった。
男も女も衆前の裸はごく見慣れた光景。だから、女の裸には価値がない。売春もない。それが昔の日本だった。
江戸時代の版画その他美術品にヌードが少ないのは、価値が無かったからである。
性風俗に寛容なので、当然公衆浴場は男女混浴。コスト削減の要請も手伝った。
芸能人の中にも、過去の体験を正直に話す方が居て、加藤◯さんもその一人。童貞消失は、8歳の時で、お相手は親戚の12歳だったとか。子供だけ4人(男女2名づつ)で冬のコタツにあたっていたら、向こうから求めてきたとか。地域は東北。
つい最近、NHKの番組で青森の料理の紹介があった。その中で、昭和20年代まで続いた風習が、その本人(今はお婆さん)から紹介があった。
昔は、若い未婚の男女が雑魚寝する宿が村にあって、そこで数日を過ごす内に、結婚相手を決めるのだそうだ。
毎日の炊事は女性が行うのだが、女性は心に決めた男性に、渾身の料理の腕をふるい、雑魚寝の時に、男性を待つのだと言う。
この事を語ったお婆さん方は、とても嬉しそうに昔を語っていた。
セックスは、忌避するものではなく、男女共に、”楽しい事”なのである。
伝統的な夜這いは、知られている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのがほぼ最後だろう。日本では今ではほとんどみられなくなったが、昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくない
万葉集の時代からの「歌垣」にもかいま見られる
万葉集、高橋虫麻呂の歌
万葉集巻九の「〈……率(あども)ひて 未通女壮士(おとめおとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ刊歌(かがい)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ 吾が妻に 人も言問(ことと)へ……」
今の時代から見ればまあ、品のない歌かな、とも
本州の太平洋側や沖縄などでは、女性が15、16歳になると、村の男の夜這いを受けやすくするため、家の表に面した部屋にわざわざ住まわせた地域があった。また中国地方では、初潮を迎えた娘の初めての性の相手として、裕福で人望の厚い年配の男性に手ほどきしてもらう慣習もあった。紀州では、娘が13、14歳になると、年配者に頼んで“女にしてもらう”、一種の性教育の慣習があった。この時、娘の親がお礼に相手となった老人へ米と酒と桃色のふんどしを贈った
ちゃんと日本語にある、”未通女(おぼこ)”。
現在では、”おぼこ”は、”子供”という意味に使われているが、本来の意味は、処女である。だが未通女には、別の意味もこめられている。それは、”何だお前、まだ処女なの?”という蔑称である。
つまり、明治維新以前の日本では、”処女”が恥ずかしい存在だったのだ。”さっさとやってこい!”てなものである。
未通女(おぼこ)→男経験が無い→男の相手の仕方を知らない→男にすれば相手のしようが無い、と言うこと。
例えば九州北部のある集落では、元旦の除夜の鐘が鳴り終わる頃に、老人、若者、子供が裸で神社の境内に集い、年に一度の“性の無礼講”に発展することも多かったという。
また別の集落では、神社の祭りの日に近所の男女が行き合って、知る知らぬにかかわらず、情を通じ合ったとか。
そういう知識のない女性がまれに「被害」にあい、新聞沙汰になったケースもあったらしい。
日本の神社の境内は、お祭りの為にある。鎮守の森は、セックスの為に用意されている。お祭りには、神輿担ぎと同時に、セックスのお祭りがあった。(江戸時代まで)
村祭りの時だけは、村人は誰とでも相手を選んでセックスができる。通常の掟が通用しない場所、という意味で神社がある。
ただし、規則が一つだけある。それは、”お面をかぶる事”である。男がかぶるのが”ひょっとこ”。女がかぶるのが”おかめ”である。何で、男と女で面が異なるかと言えば、暗い場所で男女を間違えない様に、という事である。男同士、女同士もあり。
21世紀の現在でも、名残がある。それがお面と鎮守の森である。お祭りの後、鎮守の森でセックスする事は、日本古来の風習だ。
性風俗に寛容だった昔の日本
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