駄文ではありますが、暇を持て余し、初体験を小説っぽく書いてみようと思いました。
僕の初体験を誰かに話すと、必ずうらやましがられます。しかし、僕にとっては自慢したい事でもなく、人からうらまましがられたい、といったキモチはありません。なぜなら、その相手とはそれが最初で最後であり、ほんのひと夏の思い出にしか過ぎないのです。
僕は毎年夏休みになると、香川県にある祖母の家に遊びに行くことが恒例行事となっておりました。祖母の家は瀬戸内海に面した場所にあり、前に歩けば海、後ろにあるけば山と自然に恵まれた場所で、僕は毎年その場所で釣りをしたり山に登ったりしていました。
その年も僕は釣り道具と当時ハマってたガス銃を持ち、昼間は山でBB弾で射撃をして遊び、夕方からはアジ釣りに興じていました。そんな思春期に片足をつっこんだ僕が考えていたことは、せめてこの田舎でここが地元の女の子の友達でもいたらなぁ。なんてシンミリ思う事もありました。
祖母の家に到着し1週間程過ぎた頃の話です。僕が祖母の家の長屋の2階で眠っていると、閑静な地域にある木造建築の家で声が通るのか、1Fの玄関のほうから「コンニチハ~」と外国人の声がしました。まさか、とは思いましたがそのまさかでした。
実は母の妹がインド人の方と結婚しており、その一家が祖母の家に来てたのでした。そしてその一家はインド人の父、母の妹の妻の間に、マヤ(仮名)という僕と同じ年の女の子がいました。
マヤとは小さな頃に何度か遊んだ記憶がありますが、ここ数年はまったく音沙汰もなく、久しぶりに会ったらやはりなんといってもハーフの子。キレイとカワイイがちょうどいい具合にミックスし、驚くべき容姿を備えていたのです。
そしてマヤの両親はただ墓参りに来ただけ。といっており、マヤだけを置いて墓参りが終わると帰っていったのです。マヤも最初から夏休みは祖母の家で遊ぼうと思っていたらしく、すでにマヤは僕が来ていることを祖母から電話で聞いていたようです。祖母は僕にはマヤが来ることを何もいってなかったので、マヤの到来はまさに晴天の霹靂でした。
突然、僕は同い年の年頃の女の子と一つ屋根の下で過ごす事になったのです。
そして祖母の家にはエアコンのついている10畳くらいの客間がひとつしかなく、僕とマヤはエアコンのついている部屋で寝ることになりました。(僕は既にその部屋を占拠していました)僕はマヤが同じ部屋で寝る事にあせり、マヤに子供だと思われたくない一心ですぐにガス銃を箱にいれてかばんに隠したり、マンガ本も同じく片付けたりしました。
マヤは小柄で肩くらいまである黒髪のストレートで、黒縁メガネをしている一見、まじめそうな子という印象があります。しかし内面は、やはり外国人の親に育てられたという影響がつよいのか、まったく人見知りはしませんでした。むしろ僕のほうが緊張して、なんかカッコつけてる部分もあれば、恥ずかしがってる部分もあったりと、若干マヤと接する事に狼狽しておりました。
しかし、マヤの人見知りしない性格のおかげで、2日目には普通に話せるようになり、3日目には冗談も交わせるようになっておりました。そして4日目の夜くらいだったでしょうか、僕はその日、21時~22:20分くらいまである面白い映画をTVでみるのに夢中になっており、風呂に入るのが一番最後になりました。
着替えもって風呂に入って脱衣所で服を脱いでいた時、いつもは自分のTシャツやパンツをそのまま放り込むのですが、ふと妙な考えが頭をよぎったのです(そういや、マヤはもう風呂に入って寝てるよな。。もしかして洗濯機の中にマヤが今日はいてたパンツはいってるのかな。。。)なんて事です。
僕は妙なスリルに狩られ、念のために脱衣所にカギをかけ、ドキドキしながら洗濯機のフタをあけてみました。すると祖母の肌着なども中にはあったのですが、予想通りマヤの下着もはいっていたのです。綿素材で出来ており、色は白。そして小さな黄色い花柄がちりばめられたデザインでした。
正直、僕は同い年といっても年頃の女の子の下着、しかもはいた後のものを直接、自分の手で触る事自体が始めてであり、その下着の柔らかい感覚があまりに斬新な体験でした。そして少年の僕は(どんな香りがしているんだろう、、)とまずはパンツのアソコがあたる部分の表側を自分の鼻につけ、少し匂いをかいでみると、洗剤と汗とオシッコが混じったような、そんな独特の香りがしました。
そして(裏側はどうなってるんだろうな。。)と裏返してみると、アソコがあたる部分に直径2cmくらいの薄くて黄色い縦シミがついていました。今度はその縦シミに鼻を直接つけてにおってみると、(!!!???!!!!!!!!!)としか表現の方法がないような、強烈な匂いがしました。ただ、表と裏だけでこんな香りの濃度が違うのか!!!と驚きまくりました。
そして脱衣所でそのまま自慰行為にふけり、発射した後、少し冷静になった僕はそのまま風呂に入り、夜は寝たのですが、マヤのパンツにいまだ興奮が冷めやまず、結局また3時くらいに起き出してまた脱衣所でさらに1発射精し、それでやっと眠れたような状態でした。そしてその出来事を境に、僕には入ってはいけないスイッチ、いや入るにはまだ早いスイッチが入ってしまったのです。
その日からマヤの事を性的な目で見るようになっていました。常に胸の膨らみを見たり、ブラの線を目で追ったり、ショートパンツの隙間からパンツが見えないか見ていたり、常に自分の目線がいやらしい目線になっていたのです。そしてマヤの水着姿を見たいという下心で、自分から「明日は海いかない?」なんて誘ったりもしていました。そして意図的に夜中の2時、3時に目を覚まし、脱衣所にいって毎日毎晩、マヤのパンツで自慰行為にふけるのが日課になりました。
そして狂気の極みというものでいえば、祖母の家の長屋のトイレは、古い木造のほったて小屋になっており、その気になればいとも簡単に覗けるというものがありました。僕はマヤが毎日食後にトイレにいく習慣を覚えていたので、僕は早めに食事を済まし、個室トイレの隣の清掃道具入れの中に身を隠し、マヤが来るのを待ちました。
そしてマヤがトイレの小屋の中に入り、ガチャとカギを閉めるのと聞くと、僕は向こうからはバレないていどに顔をさげて、足元の隙間から中を覗いたりしました。中にはマヤのスリッパと足首が見えました。直後、少し毛の生えた割れ目が視界に入り、数秒後にその割れ目から拡散して飛び散るようにおしっこが出てくるところまで見たりしたのです。真正面の至近距離でした。そしてマヤは何事もなくトイレから去っていきました。
さすがにトイレは危険性が高いので、それっきりですが、それからさらに3日4日は、目線でマヤを犯すといってもいいような状態でした。マヤを見れば見るほど、僕の性的願望は増幅していき、(寝ているときに抱きついてみようかな。。。)とか、そんな理性が崩壊するところまで妄想するくらいまでになっていたのです。
しかし、チャンスはめぐってきました。一緒に祖母の家で寝泊りするようになって2週間くらいがたった頃だと思います。その頃になるとマヤとの会話は恋愛に話とか、リアルなところ、僕はマヤの性的な感性はどうなっているのか知りたくて、ウソの話題をふってみたのです「実は俺の学校にも付き合ってる奴とかおって、、なんだかもう関係もってるらしい」そしてマヤは「関係って?まさか。。。W」「うん。そうそう。ヤったってこと」と遠まわしにSEXの話題に話を巻き込もうと画策していたのです。
そして自分だけは大人びて、「今はスマホとか誰でも持ってるから、簡単にエロイ動画とか見れる時代だからな。そういう事もあってか、初体験早い奴多くなってると思う」なんて持論を述べてみたり。そして僕の狙いが当たりました。マヤは「でも、ああいうサイトってウイルスとかあってケータイ壊れたりするってきいたことある」といってきたのです。
僕は「ないないw それってパソコンの世界の事じゃないのかな。ケータイでウイルスとか聞いたことないな。ちょっとまって(ここで僕は前からお得意先だったエック○ビデオを検索)と、携帯を操作し、「ほらw すぐ見れるだろ?」とマヤにそのサイトのサムネイルの画面をみせつけました。
するとマヤも興味というか好奇心はあったらしく、「え、これってモザイクとかないの?」と話にくらいついてきたのです。僕は「これはアメリカのやつやからないよ」と答え、さらに追撃で「ちょっと見てみよかww」と冗談を装ってマヤとエロ動画を見る事になったのです。
そのとき見た動画は、マッサージものでした。OLが何も知らずマッサージ屋にやってきて、その店のマッサージ師が言葉巧みにOLをその気にさせて、最後は本番行為に持っていくという、ありきたりなストーリのものでした。僕は最初の会話の画面は飛ばし、マッサージ師にOLがパンツ越しにクリを触られているところから再生をしました。
それから10分、20分、30分が経過し、画面の中では指マン、潮ふき、フェラ、挿入と移り変わっていました。マヤはずっと僕には目もくれず、ひたすら画面を凝視しておりました。僕は画面よりかは、同じ布団の中にもぐり(隠れてコソコソしているという感じです)至近距離にいるマヤの事ばかりが気になっておりました。
そして、僕は渾身の勇気を振り絞り、マヤの腰に手を回してみたのです。するとマヤは「え、なになにw」とはいうものの、とくに嫌がる様子はありませんでした。僕はさらに、さらに、いやさらに!!!渾身の勇気というか、気合というか、性的興奮の極みというか、(これでダメならだめもとで!!!)と腰に伸ばした手を、そのまま下げ、パジャマ越しにマヤのアソコの上に手をおいた、というか触れたのです。
すると、即座にマヤは自分の手で僕の手首を掴み、嫌がる素振りを見せました。僕はこれで引いたら、もうオワリ。とわかっていたので、そのままマヤの口にキスをしかけると、マヤは「ン!!>< いや!」といいましたが、嫌がったのはキスだけで、触れている下半身に関しては嫌がっていないような、そんな印象をうけました。
そこから僕は電光石火で攻めが始めました。パジャマの上においていた手を翻し、今度はパジャマの中に入れたのです。その頃、僕はもう(この流れなら出来る!)と確信めいたものまで持っていたと思います。
今度はパンツごしにアソコを触れると、そこは高湿度の湿地帯になっておりました。まるで水をこぼしたごとく、割れ目一体は湿っていたのです。マヤもそれは自分で知っていたのか、それともマヤも見ている動画のように、快感を得たいという気持ちがあったのか、人の心はわかりませんが。。。
マヤは顔をうずめ、弱い力で僕の手首を握ることだけしかしませんでした。僕は中指で割れ目のスジをなぞり、クリを発見しました。そしてコリコリした部分を指で摩擦していると、マヤが時折腰をビクと揺らすのが見て取れたのです。ひたすらクリを刺激し続けました。ひたすらひたすら。するとマヤは「ハァ・・アッ・・声でる・・><」と腰をビクンビクンとさせていました。そして頃合をみて、今度はパンツの中に手を入れ、直接クリを触れたのです。モワっと陰毛の感触が手のひらを伝わりました。中はビチョビチョになっており、パンツの裏にも相当な量の愛液が付着しているのでしょう、まるで濡れたスポンジの中に指を突っ込んでいるような感じでした。
僕は特に意図したわけではありませんが、とりあえず今みた動画を再現すればいいだけだ。とだけ思い、マヤのパンツとパジャマを脱がしました。そして顔を又にもっていくと、マヤは今からクンニされると察知したのでしょうか、思わず足をバタンと閉じました。そしてそれを強引に広げる僕。
僕はマヤのアソコをペロンペロンと舐め始めたのです。鉄のような、独特な味がしました。アソコを舐められてからはマヤは「こちょばいww」と少し笑いました。僕のこのままいける。という確信はさらに固まった瞬間でもありました。
そしてクンニをしながらズボンを脱ぎ、まやにフェラをしてもらうようにマヤの顔に自分のモノを近づけました。マヤはただそれを手でつかみ、手コキみたいな事はしますが、口の中には入れてくれませんでした。そしてさらに僕が口に近づけると、、、、
パクン と衝撃の感覚がわが身を襲ったのです。パクンのあと、口の中でモゴモゴされて、それからはジュポジュポ・・・ペロン、、ペロンとたどたどしくフェラをされ、それから慣れたのか、暫くしてからはジュポジュポジュポとリズミカルに口を上下させました。
気が付いたら横に寝ながらの69という体勢になっていました。そして最後の挿入の時がきました。僕はゴムなんて用意してませんでしたが、とりあえず外で出したら大丈夫だろう。と安易な気持ちで、自分の亀頭をマヤの入り口付近にもっていき、グイグイと押し込もうとしました。するとマヤは「もっと下><」といい、さらに下に下げて入れると、最初硬かったのですが、思ったよりすぐに中にはいりました。
まるでなにか別の口にくわえ込まれている。。。。というような、感覚でした。それから腰を振り出すとマヤは「いたい><いたっつ><」と言ってきたのです。それから僕はゆっくりゆっくり腰を降り始めました。
結局、最後まで挿入のシーンになってからはマヤは感じた声を出すことはなく、ずっと顔をしかめて痛そうにしていましたが。なんとか僕は射精寸前になり、マヤのお腹に精液を出すことができました。そして後処理をし、僕たちはその日は一緒の布団で寝て朝を迎えたのです。
そしてその日の朝から、マヤの態度が僕になにか冷たくなっていました。目をあわそうとしないのです。僕はてっきり、もうマヤと付き合った気持ちでいました。マヤと付き合っていることを、どうやって親に納得してもらうか。親戚同士の結婚って法律上ありだったけ。とか、そなんて事まで考えていたのです。
しかし、これは僕の予想でしかないのですが、マヤも経験の幼さから、性的動画を見て一時は興奮し、不覚にも僕を相手に体を許してしまったが、決して僕を彼氏とでも認めた訳ではないという事だったのかもしれません。だから興奮が冷めたら、僕に対して、そして昨夜の出来事を後悔し始めたのかもしれません。
マヤはもともと電車で1時間かければ家に帰れるという場所に住んでいたので、出来事の翌日の夕方には、祖母に「友達と遊ぶ約束があるから、帰らないといけない」と理由をつけて一人、僕に挨拶もなく帰っていきました。
なにか取り残された僕は、それから空白の数日間を過ごしました。何をしても楽しくならないのです。マヤとの夜はいったいなんだったんだろう。という虚しさだけが残りました。
童貞じゃなくなった。のかもしれませんが、実質は童貞だった頃のほうが、まだ楽しかったような、この空虚な気持ちはなんなんだろう。と、そんな感じでした。
こういった理由から、僕はこの思い出は「残念な思い出」であり、けして人に自慢したいものでもなく、うらやましいと思われたいというものでもないという理由がここにあります。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。