実の兄妹での性行為 <塞の神における兄妹相姦についての記号論的考察>


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   昔は「兄妹(姉弟)」と「夫婦」は同じ意味の言葉だった、
   それは兄弟姉妹での性行為が当たり前だったから、という話。
     
   
人間は事象を不連続に分節する時に、それぞれの分節に記号、すなわち名前をつけます。
例えば、一日の連続した時間の流れを二つに分けて、それぞれに「ヒル」「ヨル」という名前をつけるのは、「ヒル」と「ヨル」とが区別されるべき別のものであるからです。
区別する必要がなければ別々の名前はつけず、同じ名前で呼ばれます。
従って現在、兄弟姉妹と夫婦とが別の言葉で表されているということは、兄弟姉妹と夫婦とが区別されるべき全く別のものであると考えられているからです。
     
しかし、古代において、兄弟姉妹と夫婦が別の語で表されるのではなく、どちらもが同じ「いもせ」と云う言葉で表されていたと云うことは、それらが区別する必要のない同じものであったと云うことに他ならないのです。
このことは、現代では禁忌とされている兄妹・姉弟の間の性的関係も、夫婦間と同じように、何等妨げられるものではなかっことを示しています。
    
塞の神は村落の内と外との境界に置かれます。
村落間で群婚的に通婚が行われていた古い時代、塞の神を祭った広場が群婚の婚所であったことによるとされます。
すなわち、塞の神は「クナド神」であり、「クナギド」とは性交の意味間のです。
塞の神が、石で作られた夫婦の姿であり、男性の性器の象徴である石棒や陽石などで表されていたのは、まさにそこが男女の愛欲の場所であったためであると言われます。
         
     
村落のはずれの路傍に祭られている塞の神(道祖神)には、(1)境界守護の神という性格と(2)夫婦和合の神という2つの異質な性格がある。
この第二の性格によって、塞の神は、しばしば陽石、陰陽石、さらには男女二体の夫婦の石像によって表される。
ところが、その石像の男女はしばしば兄妹婚の夫婦であるとされている。
これは何故であろうか。
一般にはその由来をイザナギ・イザナミ神話に求めるが、これには賛同しがたいことを示した上で、我が国を含め東南アジアの水田稲作地帯に広がる兄妹婚肯定の空気が、その背景として存在することを指摘し、さらに、我が国古代では異母兄妹婚は通例のことであり、同母兄妹婚も強い禁忌ではなかったことを見てゆく。
その上で、「いもせ」という言葉が、(1)兄妹(姉弟)(2)夫婦の2つの意味を持っていることが教えるように、兄妹と夫婦とは、もともとは区分されることのない同一の概念であったが、後に両者の間に区分線が引かれて、それぞれ別の概念とされた時、その境界線上にあるものが兄妹婚であることを見る。
他方、塞の神は村落の内と外との境界に置かれるものである。
この境界領域の事象ということにおいて両者は一致する。
かくて、塞の神が兄妹婚の夫婦とされるのはこのためと考えられることを論ずる。
記号論は連続したものを記号によって不連続に区分した時に生ずる境界領域には、神聖さと不吉さが備わるという。
村落の境界と兄妹婚は、その属性においても一致することを述べる。
    
  いも‐せ【妹背、妹兄】の意味(goo 辞書)
  1 夫婦。夫婦の仲。
    「枕を並べし―も、雲居のよそにぞなりはつる」〈平家・灌頂〉
  2 兄と妹。姉と弟。
    「戯れ給ふさま、いとをかしき―と見給へり」〈源・末摘花〉
    

 

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