性のタブー意識はいつ生まれたのか、大昔から性に開放的であるのはタブーだったのか
なぜ「えっちなの」は、いけないの?
■「日本には、もともと性に関するタブーの発想がありませんでした」
こう語るのは、法政大学准教授の白田秀彰さん。
白田さんはことし、えっちな表現はいけない、というルールがどう生まれ、どう変遷してきたのかをまとめた本『性表現規制の文化史』(亜紀書房)を書いた。
「えっちはダメ」という発想は、日本でいつ始まったのか?
答えを先にいうと、それは「明治維新から」だ。
幕末、軍事力で開国を迫られた日本は、西洋諸国に追いつくため、西洋化を推し進めた。
洋館を建て、洋服を着て、ダンスパーティを開いた。
「明治維新で日本は、西洋のシステムを無理やり輸入しました。そのとき、それと一体になっていたキリスト教的な性観念も、一緒に入ってきたのです」
キリスト教的な性道徳といっても、ひとくちには想像しにくい。
ただ、このとき輸入された価値観は、かなり「上品」に振り切ったものだった。
明治維新が起きた1870年代のヨーロッパは、ヴィクトリア朝の時代。
つまり、貴族がこぞって上品であることを競い、性道徳が最も厳しい時期だったのだ。
一方で、日本の庶民には、盆踊りで乱交するような風習も、まだ残っていた。
そうなると、西洋諸国に「立派な国」と思われるためには、そういう風習は、どうにかしないと・・・・・・という発想になる。
■では、日本に伝わる前、欧米で「えっちなのはいけません」という価値観は、なぜ生まれたのか。
白田さんはこう分析する。
「えっちなのはいけない、という価値観の元には、キリスト教があると、私は見ています。キリスト教の教祖イエスはえっちなしで生まれた超人です。えっちはよくないということにした方が、聖母マリアやイエス・キリストの特別感は高まります」
もともとは宗教に根ざした価値観だった。
しかし、白田さんによると、その「えっち=ダメ」というコンセプトは、さまざまな形で政治的に利用されてきた。
「ヨーロッパの上流階級では、『相続』が大きな問題でした。子孫が数多くいると財産の継承をめぐって紛争になりやすい。正式な結婚から産まれた正統な継承者を明確化する必要があった。そこでとくに女性について『結婚まで処女であるべし、結婚しても婚外のえっちはダメ』という価値観すなわち純潔が強調されました。男性についても婚外でのえっちはトラブルの種とみられていました」
「こうした財産上の問題から発生した性規範を宗教上の規範と結びつけながら、教会は家族関係だけでなく財産関係も支配していったのです」
つまり、相続問題を解決するため・・・・お金のために、えっちは規制されたというのだ。
「もともとは純粋な宗教上の価値観だったものが、ヨーロッパの歴史の中で、それが社会を統制する政治権力と結びつくことで、階級的な秩序を守るための規範として政治的に利用されていったのです。近代になって宗教の力が弱まったあとにも、『えっち=ダメ』というのは『市民道徳』として秩序の維持に利用されてきました」
白田さんは続ける。
「1800年代頃から1920年にかけての婦人参政権運動のときには、キリスト教系の婦人団体が『えっち=ダメ』という価値観を利用しました」
「彼女たちは、キリスト教の教義を前提として、飲酒もせず性的に堕落していない女性は、男性よりも倫理的に優位だと主張しました。そうして女性の地位向上を目指したのです」
このように、「えっち=ダメ」という価値観は、何らかの政治的な目的を達成するために主張されてきた。
「道徳や品位は後付けだった」と白田さんは言う。
日本には大昔から性に関するタブーの発想がなかったらしい
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