都会にある家庭用品販売会社の営業課長になりました。30才でした。
課員は営業男子(外回り)と営業女子(電話応対)の他に、私の隣には内勤事務の女子Fで計12名構成でした。
女子Fは、社内回覧文書の取り扱いや旅費精算など課長事務手伝いです。
F女は地方出身で、短大から都会の叔母さん宅に下宿して、卒業後に入社した23才でした。叔母さんが「都会の混雑に騙されない様に」と帰宅時間や男女交際には厳しいので、課の女性から「夕食一緒にいかが?」と誘われても断るので女子同士にも友人は居ない様です。
23才になったら結婚してる女子もいるのに、友人も居ないなんて・・と個人的に「大人社会への成長の手助け」をしようと思ったのです。
まず、叔母さんに電話しました。
「F女と同じ出身地の画家Eさんの展示会に〇月〇日(日)に私が案内したい、帰宅は午後四時までにします」と電話したら「課長さんにお任せします」の返事だった。
予定通り観覧実行し、当日の帰路に駅で別れる時に「今△駅行き電車に乗りましたよ」との報告もした。課長の私の提案は下宿先の叔母さんのOKを貰う様になり、F女からも信頼と甘えが見えるようになりました。
半年を過ぎたある日、下宿の叔母さん(ご主人は病死)から電話が有り「実は、私も外出慣れしていないので、○○美術館に行きたいけど、場所も分からないから案内して頂けませんか?」と依頼の電話があった。
都会に長く住んでいるものの、ご主人の病気の付き添いが長かった為に
F女と同じ様に都会慣れしていないのです。43才でした。
なんと「F女の会社の課長に甘えてみたい」となったのです。
「F女に内緒で・・」。
ご主人が亡くなって、もう5年でした。32才の男に43才の女が甘えたのです。祭日を選んだ約束当日は、午前中に映画を見て昼食を簡単に済ませた後に、うつ向いて私の肘を掴んだまま「ラブホ」に入ったのです。
勿論、部屋の中は薄明りで、いきなりソファーに彼女を押し倒して、タップリとキスをしながら、体のあちこちをナデナデして「アーッ・何年ぶりっ」と叫ぶ時に、私一人が急ぎシャワーを浴び、着替えた姿で彼女もシャワーを浴びる様に指示したのです。
ベッドに二人が収まってからも、私のリードで次第に何年振りかの興奮と気持ち良さに驚いていると、オマ〇コ周りの濡れ具合が予想外で、アッと言う間に大砲がスルッとオマ〇コに収まっていたのです。
彼女も私も、その快感に虜になり月に一度、前回と同じ駅で待ち合わせて、同じホテルで抱き合ったのです。しかし、近所の手前と自分自身の気持ちの整理から「不倫」は継続を諦めたのです。
その後、私が41才・既婚の時、雪国の地方都市に転勤になって、挨拶回りで取引先の課長Sが、同じ学校卒の後輩と知ってから、親近感が涌いて会社訪問をする事が多くなった。
訪問時には総務課のK子が受付から応接室に案内し、Sが来る迄の短い間に雑談をする事も有った。そんな間柄から、K子に珍しい観光地や美味しいレストランを教えて貰う内に、ご自慢のイタリア料理の夕食に案内してもらう事になったのです。
K子は24才165cm独身で、食事店に詳しい事に加えて、笑顔の話し方がスッカリ気に入り、課長に内緒で、中華料理店案内の約束までしたのです。
中華料理店では、温かい美味しい料理が次々と運ばれると共に、観光地の紹介など話が進み、つづいて隣のスナックに立ち寄る迄になったのです。
ナントお互いの目を見つめ合いながら、気持ち良く「乾杯」までして、チークダンスの後、帰り道の暗がりでキスをする迄になったのです。
年齢差が有るものの、その後の会社訪問時には、陰で親しい友人としての会話になり後日、天気の良い日に私の運転でK子に高原の湖に案内してもらいました。湖畔を廻る内に、人の少ない新緑の木陰でタップリのキスから、下半身同士のこすり合わせで「ダメーッ」と呟きを漏らすまでになり、私の興奮が収まらず、下山途中に気付いたラブホに黙って立ち寄ったのです。
K子のセックス経験程度は分かりませんが「二人の関係を長続きさせたいと思って、ゴム付きでK子がイッタラ満足」と心に決めて実行したら、ナントあっという間に、二人同時の「イクーっ」から抱き合ったまま、無言の時間を楽しんだのです。
年の差が17歳あるものの、経験豊富で男盛りな年上と経験未熟でも性欲旺盛な娘は、この日を機会にセックス好みの交際が始まったのです。
二人は「月に一度・給料日の前日」に夕食とラブホを楽しむ事にしたのです。(給料日前は食事もホテルも空いてて知り合いに会う確率が少ない)
二人のセックスデートは、私の車に乗って、軽く食事の後に毎回違うラブホ利用としました。ゴム使用)。
三回目には、なぜ二人の交際が続くのかを告白しました。
私からは「お互いに性格が明るいこと。身長差が無くて目を見ながらの会話が楽しい。セックスの濡れ具合と同時にイク時の満足感」K子の意見は「まったく同じ」でした。セックスは正常位が好みで、見つめ合いながら「アッ・ダメーッ・イクーっ」が二人の好み。
二人の月一度のセックスデートが一年半も続いて、K子が25才の終わり頃に「見合いで結婚するの!!」と告白された。半年後に退職すると共に、二人の交際も終了になった。
K子は結婚して戸建て住宅に入居して、すぐに妊娠し、出産後は実家に同居して、子供を母親に預けて半日のパートに出る事になったのです。
なんと平日朝から午後二時までの勤務で「夕刻までの間にセックスデートが可能だから・・」の誘いが有り、私は「仕事」と嘘をついて外出し「K子主婦との不倫」を復帰させたのです。結婚から二年ぶりでした。
オマ〇コ・テクは上手になりましたが、実家に同居なので声は小さめで。
その後、子供の食事から幼稚園にも、小学校にも通園・通学・父兄会も母親任せでK子は働きつつも、月に一回の午後の時間は私とのセックスデートを楽しんでいたのです。K子は37才で17才年上の私が54才になっていました。
月一回昼間のデートを続ける中で、観光地巡りと旅館宿泊に興味が湧き、一年に一回は、K子が本当の「会社の販売部の慰安旅行」を欠席して私と「オリジナルの観光旅行」で、早めのホテル着で一回、寝る前、朝一回ののセックスと、他の客が歌う広いカラオケホールで浴衣姿のチークダンスを楽しみにしていたのです。(ホテルの係に・奥様・と呼ばれるのが快感)
私60才・K子43才で、私が定年退職になりました。
この前の年に父親が亡くなり、私の定年も有って母親が一人で残る実家に戻りました。数えてみると「K子とのセックス交際は19年目」になります。K子はまだ性欲は有るようですが、どちらかが移動しなければ会えないので「十分満足」を夢見つつ、ニヤニヤしている今日この頃です。