一 馴れ初め
今思えば私と福田久との関係は単なる女中と主家の息子という関係ではなく、ありていに言ってしまえば要するに「夫婦」の関係だったと言っても良かった。
まだ小学6年の十二歳の子供と三十七歳になる女が夫婦と言うのは全く常識を外れた事だが、やはりあれは夫婦としか表現しようの無い関係だった。
無論、表向きは私は主家の大切に育てられた嫡男で、福田久は単なる使用人の女中にすぎなかったし、当時の私にとって久と「夫婦」だと言う意識は露ほども無かった。
私は中学受験を控えた小学6年に上がると、母から昔ならもう元服の年なのだから、一人で寝起きするように言われ、母屋から離れた奥のこじんまりした離れ屋敷で一人で生活するように命じられた。それに、中学受験のために静かな離れ屋敷での生活が必要なのだとも言わた。それまでは大勢の家人や住み込みの下女や女工の暮らす騒然とした母屋の中で落ち着いて勉強が出来なかったのは確かだった。
昔からの広い藩士の屋敷の中に母屋や機工場などが立ち並び、その中にこじんまりした離れ屋敷が有った。以前は年老いた祖母が生活していたが今は空き家になっている小さな一軒家で母屋から切り離されたひっそりした家で、勉強にはもってこいの場所だった。
母の命令は絶対だったし、私は多くの女中や女工さんの出入りする喧騒な母屋が好きではなったし、何よりも恐ろしい母の目から離れられるから、その家で一人で生活することは、寂しいと思うどころか、却って自由で放縦な生活を送れると言う期待も手伝って願っても無いことだった。
それまで私には清という若い娘が私専任の下女として付いており、当然、離れには清が付いてくると思っていたが、嫁入りの話があり、代わりに福田久が選ばれたのだった。この点だけは私は酷く落胆し、悲しかった。清は若い娘だった(確か私より5歳ほど年上だったと記憶している)が、私が物心着く前からずっと私のお守りで、全く母の愛情に接していなかった私にとっては唯一気が許せる家族で私は心底なついていたから別れる事は身を切られるような辛さだった。
代わりに私の専任の下女となる福田久は、母方の遠縁の血筋で、当時三十半ばを過ぎた年かさの女中の一人だった。奥だけで何人も女中がいたし、私には清が仕えていたから、他の女中の事はほとんど知らず、久についても顔を知っているくらいであまり接する機会も無く良くは知らなかった。同じ家の中で暮らしていたとは言っても、まだ小学生の子供にとって大人の世界で働く女中たちは全く無縁の存在だったから、それは当然のことだった。
久も越前大野の生まれでそこそこの藩士の家柄だったらしいが、二度嫁入りの経験があり、そのいずれも、子が出来ずに離縁されて出戻っていたのだった。母がそんな遠縁の久を不憫に思ったのか下女として引き取ったらしい。久は住み込みの下女でたくさん居た機織の女工さんの世話係だったと言っていた。その久が離れで私の面倒を見るために一緒に生活するようになったのである。母屋からは独立した生活だから、当然、食事も洗濯も風呂も別で、久がそれら一切の家事を行い私だけの下女として離れで寝起きを共にすることになったのである。
母から久の事を告げられたとき、私は清と別れた寂しさが急に薄らぎ、代わりに心の中に何かもやっとした、ときめくような浮き立つ気分を覚えたのだった。顔は見知っていたがほとんど話をした記憶も無い下女だった。それでも久は武家の育ちで立ち居振る舞いが凛とした、色の白いどことなく気品の有る存在で、下女には珍しいと大人たちが話すのを何度も耳に挟んだことがあり少なからぬ興味を持っていたのである。だから私は久の名前が出たときは少しも否やは無く、逆に密かなときめきを覚えたのだった。
久は三十半ばを過ぎ、まだ十七の娘である清とは全く違った完全な大人の女だった。清にはなついていたが、年も離れておらずまだ幼さの残る清は、母親というよりもどちらかと言えば、優しい姉のような存在で時として同年代の仲間のような、自分と同じ世界の人間に過ぎなかった。その点、久は全く一人の大人の女だった。私にとっては母親やその他の、機工場や母屋で働く大人の世界の住人だった。
清は有体に言えば自分と同じ子供で一緒に風呂に入っても一つ布団で寝ても、ときめきは無かったし、女を意識することも無く過ごしていたのである。十二歳と言う子供から少年に移り変わる微妙な年齢に差し掛かっていた私は、ちょうど性に目覚め始めたばかりで、同じ子供ではなく本当の大人の女に興味を持ち始めていたのだった。そんなおりだったから、その大人の女が離れの屋敷で自分と一緒に寝起きすると言われて密かなトキメキを覚えたのも自然な成り行きだった。私は清を失った悲しさよりも新たに手にした、一人の大人の女を、自分だけの下女として一緒に過ごすことに酷く興奮を覚えていた。正に心ときめく新たな生活の始まりを予感させるものだったのである。
二 新居での生活
久との二人だけの離れでの生活は春休みの最中の三月のお終いの頃に始まった。
離れの屋敷は母屋と機工場に隔てられた、小さな生垣と大きな欅の木が影を作るこじんまりとした平屋の建物で完全に母屋からは独立した一軒家だった。玄関を入るとすぐに土間になっていて勝手場が有りその奥に厠と風呂場が有った。部屋は玄関の上がり框に続いて、三畳と六畳の畳の部屋が有るだけの広さで、まさに小体な隠居所そのものだった。しかし私と久だけの二人の生活には十分すぎる広さだった。
夜具や勉強道具や身の回りのものを運び、引越しを終えて新しい我が家に収まり、六畳の机の前に座った私は、完全に独立した家屋に主として生活するのだと言う気構えが沸き起こり、何か急に一人前になったような気がして、子供なりに嬉しく、しっかりするんだと自分に言い聞かせて身を引き締めた。
私は奥の六畳に座り机を置き、そこで日中は勉強をし、夜は寝床を敷いて寝ることにした。また、翌年の春に控えた中学受験のために、近所の中学の教師に勉強を見てもらうべく毎夜通うことになっていた。
久も同じようにその日から母屋の女中部屋から越してきてそこで生活を始める準備を終えていた。一応、三畳の部屋が久の部屋という形になって小さな柳行李と化粧台が持ち込まれた。それが酷く大人の女を意識させるもので私は小さな姫鏡台に艶かしいものを感じた。離れはもともと祖母と女中が暮らしており、小ぶりな箪笥やちゃぶ台など一通りの所帯道具は揃っていたから生活するのには何も不自由は無かった。
そこでいよいよ、十二歳の私と三十七歳の福田久の新居での生活がスタートしたのだった。
荷物を片付け終えた昼過ぎの一時、私は引越しを終えてわくわくするような気持ちで、机に座ってぼんやりしていた。そこに襖を開けて久が茶を出してくれた。
小さなちゃぶ台に湯飲みを置くと、久は深々と頭を下げて、
「ふつつかなけども、どうか叱って追い使ってやって下さいませ。」
と丁寧に両手を突いて正座して挨拶をした。
自分より二周りも年上の、母親同様の年齢の大人の女性だったが、そこは下女と主家の嫡男の関係で、久はきちんと使用人としての態度で接してくれたのである。
私は、慌てて正座をすると
「ああ、久はんがいね。あてこそ、よろしうお頼みもうすがいね。」
と、いっぱしの大人びた態度で応じていた。
一家の主としてしっかりしなくては、と心に誓ったばかりの子供には、まさに最初の気構えを示す絶好のお披露目の場になった訳である。
地味な紺色の麻半纏と絣の着物の女中の姿だったが、それが却って清楚な気品を感じさせるようだった。久は間近で見ると抜けるように色が白く肌理の細かい肌をしており、細面で整った顔立ちは雛人形を見るような、ろうたけた美しさだった。その時が久と直接対面する始めての場だった。私は顔を上げた久をまじまじとは見られず、盗み見るようにして見ただけだった。とにかく必死に主人としての体面を取り繕うつもりの子供にとっては、初めて二人きりで交わす挨拶は酷くドギマギしたぎこちない見合いの場のような感じだった。無論私はそう意識したわけではなかったが、どれは確かに夫婦として暮らすことになる女性との初めての見合いの場だったのである。
・・・・・ 続く ・・・・・
「思い出は降る雪のごとく遠く切なく・・・」 1
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