縄文人「誰のタネかなんてどうでもいいじゃないですか」
縄文時代の埋葬法の一つに、2人以上の人を一つの墓に葬る合葬という形がありました。
この場合、確かなことはわかりませんが、血縁関係を重視し、夫婦が同じ墓に葬られることはなかったのではないかと言われています。
つまり夫婦に血縁関係はありませんから、「夫婦」という関係性があまり重要視されていなかったかもしれない、ということです。
このことから察すると、縄文時代は、一夫一婦制ではなかったのかもしれません。
そもそも、農耕が始まる前、世界の多くの狩猟社会では平等主義を徹底するのが普通でした。
自分の子供だけに目をかけるのではなく、部落の大人たち全てが、全ての子供を「自分の子」のように育てるのです。
これは、複数の養い手がいることで、子供が大人になるまで生き残れる確率をあげるという利点があり、また女性が複数の男性と交わることで優秀な精子が選ばれるので、生物学的にも理にかなっているのだそうです。
いや、決しておすすめはしませんけども、今の時代に。
農耕をはじめると、なぜ夫婦関係が大事になるのか? それは、土地の継承という問題が絡んでくるからです。
世界の例を見ても、農耕をはじめると、一夫一婦制、あるいは男性を基準とした一夫多妻制が敷かれるようになるのが普通です。
前期までの土偶には、それがまるでお約束事であるかのように、顔面の表現がありません。
顔より体幹が大事だったということです。
新たな生命の誕生を最も尊ぶ縄文時代に大切にされたのは、性を象徴する体幹部分であったはずだからです。
縄文時代の遺物には、性を象徴したものが多いという特徴があります。
縄文人は確実に「男性性と女性性が交わることで新たな生命を生む」ことを意識していました。
これは人間や動物に限ったことではありません。
縄文人は「太陽と月」「生と死」「山と海」などこの世のあらゆるものに男性性と女性性の二項対立概念を適用していたとみられています。
この考え方でいくと、土偶は「この世のあらゆるものの」女性性、つまり「命を生むもの」の象徴だったのかもしれません。
縄文時代に生きるなら、絶対に入っていないと生き残れないのが、海上および陸上交通でつながった「集落間ネットワーク」です。
このネットワークに組み込まれることで、地元ではとれない動植物や鉱物などを互いに融通し、どこに生きても不自由のない生活を実現していました。
そしてこの集落間のお付き合いを強固にするため、縄文時代の各集落はとてもオープン。
婚姻や祭でしょっちゅう行き来します。
縄文ネットワークへの貢献は、縄文人にとっては死活問題だからです。
人は誰でも、死ぬのは怖いものです。
もちろん縄文人だって、できれば死にたくなかったはず。
しかし、自然の循環サイクルの中に身をおき、常に動物たちの死に正面から向き合って生きていた縄文人にとって、死は恐れるべきものではありませんでした。
その証拠に、彼らの墓は集落の真ん中に掘られることが多くありました。
死んだ人間(&動物)と生きている人間が生活を共にするという、彼岸と此岸がとても近い空間です。
また、彼らは命は巡り巡って再生するという信念の持ち主でもありました。
どうせまた戻ってくるのだから、死は生の一場面にしかすぎない、という考えがあったのかもしれません。
【参考】
https://intojapanwaraku.com/culture/72190/
https://intojapanwaraku.com/culture/38011/