通勤にバスを使い始めてすぐの頃の20年ほど前のこと。元々過疎地域に近づきつつあってバスは減便を重ねていたので朝と夕方だけの4時間は1時間に1本、それ以外は早朝、夜、昼に上下1便だけだった。
そんな状況だったのでバスの利用者はほぼなかった。
私は車で駅まで行くより楽だったのでバスを利用していたが、利用客は私以外にもう1人、小学生の女の子が1人だった。バス停には簡易的なベンチとそれを覆うボロボロな屋根が付いていてそこに並んで座って待つのがいつものスタイルだった。
バスは山道を登ってくるので天気が悪いとかなり遅れる。ある時、ひどい雨が朝から降っていてバスがいくら待っても来ない時があった。その時も女の子は横に座っていていつもなら本を読んでいたが、この時は本を持っているが読んではいないようで良く見ると左手で本を持ち、右手はスカートの中に入っていてモゾモゾと動いていた。動きは小さいが、確実にオナニーをしていたのでしばらく眺めた後に「気持ち良いの?そこ」と話しかけると女の子は顔を真っ赤にして「え?あ、見た?」と焦っていたのでこれはチャンスとばかりに「バスまだ来ないみたいだし、もっと気持ち良くなってみない?」と持ちかけると間髪入れず「うん」と答えた。
本をランドセルに仕舞わせてから女の子のスカートの中に手を入れてパンツを脱がせた。
しっかり濡れていて透明な粘液がパンツと割れ目の間に糸を引いていた。
女の子の肩を抱いて支えつつスカートの中に手を入れて秘部を優しく撫でてみた。女の子は声を我慢できずに「おぉっあっふっ」と言う到底見た目からは想像できない汚い喘ぎ声をあげてくれて手探りで探り当てた小さな米粒くらいのクリトリスを爪先でつまむと腰がくねくねと動き、手には粘液が大量に付着し、女の子は失禁した。
勢いよくレモン色のオシッコが地面に水溜りを作り、女の子は今にも泣きそうな表情をしていたが、それがとても愛おしくてズボンの中が窮屈になった。辛抱できなくなり、ズボンとパンツを下げて久しぶりに最大級に勃起したペニスを取り出して女の子の秘部に押し付けた。女の子は驚いていたが、果てた直後でうまく力が入らないのか、ほぼ無抵抗で挿入できた。
普段の股いじりの成果なのか、それなりに大きめな私のペニスを少しきつめではあったが、難なく飲み込んでくれたので好き勝手に動くことができた。
最後は子宮目掛けてとにかく力一杯奥に突き刺して中出しした。処女であることを祈ってとにかく1番奥に子種を染み込ませることを意識して出した。女の子も果てたのか中の締まりが強烈だった。終わったあとにゆっくりとペニスを抜くと大半は女の子の胎内に入ったらしくあまり逆流して垂れて来なかった。
女の子はしばらく荒い息をしていたがだんだん落ち着いてきたのかこちらを見つめてきてひとこと「気持ちよかった」と言ってくれた。
結局バスは中出しから40分くらい経ってやっと到着して2人で仲良く乗車してそれぞれの停留所で降りた。
女の子とはその日を境にほぼ毎日のようにバス停の待合所で交わり続けていてそれが今の妻になった。お互いにそれなりの歳だが、あの時なことは忘れられないし、時々それを思い出して廃止になったバス停の誰も使わない待合所で青姦をする。
出会いはバス停
214文字数:1351
良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!
同じジャンルの体験談
みんなのコメント
1 名前:名無しさん2024年09月19日(木) 22時41分04秒2 名前:たそがれ急行81号2024年09月27日(金) 17時04分50秒3 名前:たそがれ急行81号2024年10月13日(日) 19時46分06秒4 名前:たそがれ急行81号2024年10月13日(日) 19時54分33秒
私も参加したい
中に出して孕まして
岡山まで犯しきて
私もジャスコ(古)に買い物に行こうと思ってバス停で待っていたら、別の高校に通ってた中学時代の同級生の○○和代さんと出くわした。 和代さんは、ショートカットでピチッとした白いジーンズでスタイルもよくナイスヒップでしたが、それからはさっぱり逢わずじまいで結婚できませんでした。(泣)
ちなみに、和代さんは何人もいる名前でした。
ちなみに、地元から東京・大宮を結んでた夜行高速バスはコロナ禍の影響で休止になり、そのまま廃止されてしまいました。(ToT)
ちなみに、86年の長い間走り続けたバス会社は、過疎化少子化の影響で
会社ごと廃業されてしまいました。( TДT)