過疎村


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私たち夫婦(30代)が体験した話です。
妻が無農薬野菜にはまったことをきっかけに、「家庭菜園」を始めたいと言い出しました。
首都圏のような余剰土地があっても高額な賃料の場所や皆無な農業知識では、なけなしの
お金をどぶに捨てるようなものだとさんざんに諭したのですが、妻の意思は堅固で、しかたなく
私も妻に引きずられるようにこの道に進んでしまいました。
ネット等で農業指導の有無やら安価な菜園用土地を検索してみると津々浦々にあるではありませんか。
そんな中、東北地方のKという山村近くから車で2~30分ほどにある「大字T」というところに
妻のメガネにかなう物件がありました。
そこはいわゆる「過疎村」で住民のほとんどが70歳以上という、高齢山村です。
辺鄙な場所にあるため、子ども世代を育てる2~40代の夫婦は皆無、状況的には「姥捨て山」の
様相ですが、私たちが土地と家を借りた際にはいろいろと尽力してもらい、ありがたい気持ちで
過ごすことができました。
当初は週末を利用し、季節の野菜などの栽培をしておりましたが、思いのほか軌道に乗り、妻は
ここへの転居・移住をも視野に入れ始めていました。
気をよくした私たちが、この借家で週末の夜に「夫婦の営み」をすることも多くなりました。
そんなある雨上がりの日曜日、寝室近くの雨戸付近に踏み荒らされたような足跡がありました。
最初は気にもならなかったのですが、借りて1年もたったころ抜き差しならない事に気づきました。
農作業を終え、入浴し、遅い夕食後床入りし、妻と交わろうとしたときに人の気配を感じました。
妻も「どうしたの?」と聞いてきましたが、「なんでもない」と答え、そのままお互いの肉欲を
激しくぶつけ合いました。
翌朝、一足早く畑に出かけた妻には何も告げず、何の気なしに昨夜の気配があった場所へ向かいました。
やはり踏み荒らされたような足跡が、かすかにですが残っていました。
「こんな山村に盗人が?」とも思いましたが、近所も鍵など掛けぬような家々ばかりで、めぼしい
盗品などあろうはずもない我が家も外観だけでいえば、「五十歩百歩」でしょう。
それに家の周りに柵などもないため、だれが来てもおかしくはない状況に私の注意もここで途切れました。
この村で菜園を初めて2年目です。妻もいよいよ移住に向けた準備を始めようかとした頃でした。
「ねぇ、先週帰るとき、この下着ここにあなたしまった?」と妻が聞いてきました。
週2日しか使わない借り家のため、身の回り品と生活用品以外はおいてゆかないので、若干の変化に妻が
気づいたようです。
「さぁ、どうだったかなぁ?」と答えてはみましたが、気持ちの落ち着かない雰囲気でした。
なくなったものなどはないようですが、微妙に週末に帰るときと「何か」違いました。
そんな気持ちを払いのけるように作業に没頭しましたが、やはり気になりだすと作業も滞りました。
それは妻も同じだったようで、この週は作業に集中できず、進捗も思わしくありませんでした。
「そろそろ転居の件、お聞かせ願いませんか?」と土地と家の貸主から催促もあり、村の公民館で
私と貸主、2~3人の近所衆で、ささやかながら宴席を設けました。
妻は貸家で炊事をしていたので、この宴席には出ていませんでした。
酒も進み、男ばかりの宴席ゆえ女の話や艶話も出てくるとやはりそこは老いても男衆。
久々に村に来た妻の話で盛り上がりました。
酒の勢いで私も調子に乗り、「いやいやそんなことないですよ。」と言ってはみたものの、都会では
見向きもされないような妻が、ここではアイドル並みの人気と聞き及び、大いに気をよくしたのも事実です。
「そこで相談なんですが…」と男衆の一人がかねてより妻が願っていた借り家の裏山の「入会権」をただで
分け与えますよと耳打ちしてきました。
その裏山は、マツタケや山菜等の取れる場所で、村の貴重な収入源の一つにもなっており、よそ者が踏み込
めない領域でした。
実際、ここで採れる山の幸は村人の収入の半分近くを賄う「宝の山」で、目ざとい妻もここでの生活をする
上では、入会権が絶対必要と常々話していました。
一も二もなく私は「妻に聞いてみますが」と断りつつも、身を乗り出していました。
「難しいことはないんですが、やはりそれはそれ、こんな田舎ゆえに娯楽もないので・・・」と男衆は私に
にじり寄るように近づき、こう言いました。
「あんたと奥さんのまぐわりを直に見せてほしい。」と!
驚きのあまり絶句していると「ここでは昔からの村の因習でまぐわりをみせて村人になるっうのが、決まりで
これができねぇうちはよそ人扱い、山にも入れねえし、本来なら田畑も貸せねえきまりだわ。」
「しかし時代が時代、そんなことだから人も減り若い衆も減った。だから入会権も田畑も金次第、どうだ?」
「あんたの奥さんも野菜で一儲けしたがっているみたいだし、今の畑より大きい場所だってオサ(村の最古老)
の腹一つだわ、どうだべ?」
村の衆が入れ代わり立ち代わり私を説得するときの目つきや表情には鬼気迫るものがありました。
「仮に私が良くても妻が絶対拒みます。」というと「金できかねばこれだべ。」と白い紙包みを出してきました。
「秘薬のあば(女性)殺しだ。」
男衆が言うには、昔でいうところの睡眠薬らしく、酒類と一緒に飲むと効果絶大で、朝まで目覚めないという
代物らしい。
意中の女に言葉巧みに服薬させ、その後酒席に連れ出し、手籠めにするというこの地方に伝わる品のようです。
「ただしこれは、めったに渡せない」と隠され、まず、妻に入会権は金銭で売買する旨伝えろと言われました。
山の所有者への心付けやら何やらで、数百万円の価格提示がなされました。
さすがに妻に営みを見せることは言えず、単に価格の事だけ告げると妻も頭を抱えました。
移住し、その後の生活基盤を作るには山への入会権とより大きな畑が不可欠。
しかし元手がまったくなく、融資すら受けられる状況にないため、夢を形作るならばと妻に思い切って宴席の
条件を告げました。
「裏切られた感じだ。」と妻は泣きましたが、夢にもう一歩というところで逡巡しているのも分かりました。
「ただ、見せればいいだけなの?」と何回も聞いてきました。
そこまでして手に入れた夢なんてとも思いましたが、妻の積年の夢が手元にあるかと思うと私も複雑でした。
結論からいうとこの話はなしにしました。
そして、今まで借りていた畑や家も契約再締結を拒まれ、この過疎村からは引き払いました。
確たる証拠はないのですが、今にして思えば、あの村人たちは、私と妻の営みの声音を盗み聞き、家に立ち入
っては、妻の下着を弄んでいたのでしょうか。
「もしあの条件を飲み、妻との営みを村の衆にさらしたならば」と思うと良心の呵責がありつつも激しい自慰
におぼれてしまい、若干の後悔もあります。
村衆の一人若手(と言っても60代半ば)の男が酒席でこう言っていたのが思い起こされます。
「スカートにストッキング姿の女なんてここじゃカモ(男根)デカくさせるアバだ。何人の男がそれでカモこいた
(自慰)かあんた、わかってねえな。」
21世紀の日本でもまだまだ、こんな因習ある地域もあります。ご注意を。

 

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