毎年節分の時期となると、スーパーやコンビニエンスストアなどの店頭でも、鬼の面がついた豆が並ぶようになるが、こうした鬼の面を、豆まきではなく、別の用途に用いていた人も、かつての日本にはいたようだ。
「そりゃあね、男も女も大騒ぎだよ。なにせ無礼講だからね」
かつて東北地方のとある地域で行われていたという節分の行事についてそう語り始めたのは、当地で長年レタス農家を営んでいるという山森楠男さん(仮名・83)。山森さんの話によれば、その昔、当地で暮らす男女たちは、毎年節分の日になると、日頃の鬱屈した想いを一気に発散するがごとく、互いの肉体を貪りあっていたのだという。
「女のほうはね、そのまんまなんだけどもさ、男の方は鬼の面をね、つけてるわけ。裸なんだけども。だから正体はわからないの。で、その正体がわからないことをいいことにしてね、夜這いをしあうっていう。そういう行事だわね」
節分の前夜、日付が変わるかどうかという頃合となると、各家に住む男女は、この行事のために風呂を浴び、女は寝床で狸寝入りをし、男は鬼の面をつけて、隣近所に住むお目当ての女性の元へと出かけていく。そこで折り合いがつけば、すぐさまコトに及ぶというわけだ。
「なにせね、小さい村なもんで、(男女の)組み合わせなんかは数えるほどしかないんだけどもさ、男はいつも気になっているよその家の女房を抱けるし、女は女で、誰に抱かれているかもわからないから燃えるんだよ(苦笑)」
日頃は夫婦として暮らす男女が、バラバラとなる形で、ほかの異性とのセックスに没頭するという節分の夜。さすがに現代ではこのような行為を行う村人はいないというが、山森さんのように“古き良き時代”を知る人たちからは、復活を願う声も出ているという。
「ああいうね、おおらかな時代っていうのかな。そういうのがなくなっちゃったから、少子高齢化とか、そういうのが進んだんだと思うの。だからね、せっかく元号も変わって新しい時代になったことだし、政府もさ、ああいうのを復活させるようにしたほうがいいと思うよ」
そう熱っぽく語る山森さんの想いをよそに、現実問題としてこうした無礼講が復活することはまずありえないと思われるが、少なくとも男女を「元気」にさせる方策としては、あながち間違ってはいないのかもしれない。