50過ぎの主婦です。夫は海外に単身赴任しており、子ども達も東京の大学に行き下宿していたため、私は1人で暇な日常を過ごしていました。私が住んでいる家は、元々夫の両親の家だったのですが、少し古くなったので、夫と相談してリフォームすることにしました。
夫は、
「全て桜子に任すよ」
と言ってくれたので、ログハウス風のアメリカン住宅にすることにしました。
何日か業者さんと打ち合わせをし、工事が始まります。
朝、チァイムが鳴り、玄関を開けると、そこには親方さんと、筋肉質のイケメンな若者7人がいました。
親方さんは、
「奥さん、この現場はこいつらに任せてあるから何でも言ってくださいねっ。頼りになる奴らですよ」
「はい。」
「それじゃあ、俺は別の現場に行くので」
親方さんは、若者7人に指示をして外に出ました。
私はお茶を入れ、若者達に希望を伝えました。
そして少し身の上話をしました。若者達は、話が面白くすぐに打ち解けましたが、私の彼らの筋肉を見てムラムラと感じました。
ーこんな身体に抱かれたい
と、思ってしまったのです。
お茶を飲み終わると、若者等が立ち上がり、私も立ち上がろうとしました。
「あっ。」
私は足が痺れて転んでしまいました。
「大丈夫ですか。」
若者のうちの1人が優しく抱き起こしてくれたのですが、その時に大きな胸板にドキリとしてしまいました。すると、私はスイッチが入ったように、その若者の首筋を舐め始めたのです。
「ちょっ奥さん。やめてくださいよ。」
「ん。もう我慢できない。キスをして。」
「でも。」
「そんなこと言ってアソコはギンギンよ。」
自分でも止められません。我慢しても無駄でした。
私は衣服を脱ぎ全裸になります。若者達も全員、作業着を脱ぎ捨てていました。
私のアソコはビショビショになっていましたた。まさか、7人も相手にすることになるなんて思いもしませんでした。こうして、その日は、汗まみれになりながら全員としてしまったのです。
それからは毎日のように、仕事の前に抱かれ、仕事が終わるとまた乱交をしました。連絡先を交換し、休日にも乱交をしました。
ある日のことです。
「そうだ。嫁とアナルセックスしているんだが、桜子さん。いけるかな。大丈夫。ローションはあるから。」
若者のうちの1人がローションを取り出しました。既にアナルに指は入れられていましたが、まだチンポを入れたことがなかったのです。しかし、私はすごくドキドキしていました。
「どうせなら、2穴同時にしようぜ。」
ローションをたっぷりと塗られると、2人が私の前と後ろの穴に同時に入れてきました。
「んは!痛い!」
最初は痛かったのですが、だんだんととろけるような快楽がおそってきます。
「おっ!おおん!」
「喘ぎ声が低くなったな。」
「何だ。桜子さん。ケツもいけるじゃん。」
次いで別の2人が私の前と後ろの穴に同時に入れ、また、いかされます。
一通り終わると、ラバーの全頭マスク・黒のエナメルサイハイブーツ・コルセット・網タイツ・白のロングラバーの手袋をさせられ、オマンコの毛を全部逸らされました。おまたがスースします。
そして、また二穴同時に挿入されながら、別の男におしっこを飲まされました。
「おらあ!変態ババア!飲めや。」
「あは!あは!もっと飲ませれえ!」
「はは。このババア、小便飲みながらイッてやがる。」
「そうだ。お掃除イマラチオだ。」
そして、マスクをさせられたまま汚れた肉棒を無理矢理、口でピストンさせられました。
「もご!もご!」
「ああ!ババアの口マンコいいなあ!」
喉の奥まで入れられ、苦しくて涙が出てきます。にも関わらず、パイパンになったアソコはビショビショになっていました。
工事が終わっても乱交は続きました。
更に調教が進むと、それらの肉棒を2本、3本同時に私の膣やアナルに入れようとしてきました。
今までにない経験でした。
ーこんなの入るわけがない
と思いました。半分ぐらい入っただけで、おかしくなるくらい気持ち良くなりました。
「あは!あは!ゲヅマンゴ3本挿しいい!」
「はは。上品だった奥様が今やこんな下品な言葉を発しながら、アナル3本挿しをおねだりか。」
やがて、アナルもアソコもドンドン拡張され、ついに腕までが入ってしまいました。腕はそのうち、肘まで入り、おへそまで届くようになりました。お腹が拳で膨らみ、別の種類の快感が怒涛のようにおしよせてきました。
「どうだ。S字フィストファックは!」
「はあん!いいん!もっと、もっと奥まで入れれ!」
そしてアナルは更に拡張されてきて、ついに女性の腕3本まで入るようになりました。その頃には、男達だけではなく、男達のセフレや彼女にまで調教されるようになったのです。若い女性が、巨大ペニスバンドをおへそに届くまで奥に入れ、私も別の人妻のアナルに、腕を入れました。別の女性のアナルに中に射精したチンポをむりやりしゃぶらされたりもしました。
それでも満足できず、クラブなどにも行くようになり、そこで知り合った男達にも激しく犯され、乱交の度に、気が狂いそうになるほどイきまくり、気絶しまくりました。最初に知り合ったガテン系の男達は飽きたので、連絡を取らなくなり、代わりにもっと気持ち良くしてくれるセフレを作りまくり、100人くらいになりました。
また、私も、クラブで知り合った他の奥様方も4人同時に3穴4本ファックしたくらいの変態プレイでは全然満足できず、皆でラビア・クリトリス・乳首ピアス、マンコ・アナル・乳房タトゥーを入れました。こうして精神だけではなく、肉体も淫乱にしていきました。また、他の奥様方とも互いのピアスだらけの入れ墨マンコを舐めあったり、相互アナルフィストファックをしたりしていました。
4年目には、偶然会った息子にまで犯され、マンコにもアナルにも射精された時の私は・・・、背徳感のあまり思わず、雄叫びをあげながら、気絶していました。
その日は息子達20人のチンポやペニスバンドを膣とアナルと口で受け止めていました。
それからは更にたががはずれ、毎日、朝9時から18時まで乱交が終わると、夜は汗や精液まみれの身体のまま、マンコピアスからいやらしい液をポタポタと滴り落としながら、他の奥様方と一緒にクラブで若い男達をあさり、ホテル、公衆トイレ、車、駐車場、公園などで、5時くらいまで、乱交ファックをするようになりました。睡眠は1日3時間。それ以外はほとんど乱交にあけくれるようになりました。
時には、4泊5日の乱交合宿で、一気に31人の男女おかまとファックしたこともありました。観覧車や映画館、林の中でもファックをしたり... 全頭マスクをさせられながら、全裸で木にしばられ放置プレイは最高でしたね。誰にも触られていないのに、それだけでイキまくっていました。
ある日、セフレや奥様方から乱交合宿のお誘いがあったので、行くことにしました。初めは1泊の予定でしたが、あまりにも気持ち良かったので3ヶ月も入り浸ってしまいました。
BDSM、飲尿、野外、浣腸...3ヶ月間ほとんど毎日毎晩、ありとあらゆる変態プレイをし続けた私... 帰りにノーパン、ミニスカートにヘソだしルック。タバコを吸いながら鏡を見ると、目の下にクマが出来ていました。腰には
チンポと蛇のタトゥー。まるで海外の娼婦のようです。
その帰り、タトゥースタジオでお尻に
「変態便器」
と彫りました。
もう身体はピアスやチンポなどの入れ墨まみれです。
主人が帰国する前に何とかしようと思っていますが、乱交や変態プレイがやめられません。