妻は我がチンポを育ててくれた。「第四章・その後編」


前回:  妻は我がチンポを育ててくれた。「第三章・縁結び&子作り編」

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こんな風に奔放な妻は「結婚こそ人生の最終ゴール」と考える事を凄く嫌っており、結婚後も育児をしながら水泳コーチの仕事を続け、ご老人を指導したり、時折、高校の水泳部に指導に行くこともあってバイタリティ抜群である。

そんな妻は、息子が生まれてからも若い肉体を維持し続け、我々の性欲は減退する事もなく、子供二人目以降とは行かなかったものの、引き続き熱いセックスを繰り返した。

結婚後で思い出に残るものとしては、2000年7月、自分31歳、妻46歳の時に、嫁のマスターズ水泳大会の夜だったな、帰宅後も疲れを見せず、手押し車の体勢で妻がプッシュアップしながら、それに呼応するように自分は軽く上体を反り返すように腰を大きく動かすという趣向を凝らしたセックスをした。

2007年秋、自分38歳、妻53歳の時には、息子が部活の合宿に行っている間に、妻の水泳仲間で同級生だった聡子さん(仮名)夫婦と全裸の乱交パーティをやって、飲んだくれた後、夫婦同士のセックスシーンを見せ合って、自分たちはそのタフさをアピールした後に、夫婦交換セックスで聡子さんの熟女の身体を堪能したが、妻の足元には到底及ばず、一方でSさんの1つ年上の旦那も妻には全くかなわずに軽くあしらわれる展開になって、笑いの渦だった。

2012年7月、自分が43歳、嫁が58歳の時、この年の春に、息子が就職して親元を離れたので水入らずのセックスができるようになり、自分は妻に極小のマイクロビキニをプレゼントしてあげて、リゾートホテルのプールで着てもらったら、この歳ながらにしてエロさ満点だった。

そのビキニのデザインはブラがフロントホックの付いた紐なしのニップレスみたいにオッパイに貼り付けるシリコンパットタイプで、下は遠目に見ると前貼りしか着けていないようなお尻丸見えのふんどし状の紐ビキニパンツ。

最終的には良い歳してお互いの水着を引っ剥がしてスッポンポンになってじゃれ合った。

リゾートプールでの絡み合いは今のところ2019年夏に自分50歳、妻65歳で終わっていて、後は自宅でのセックスに励んでいる。

以上の流れから、いかに妻が自分のチンポの虜になっていたのが本気だったのかも確かだ。

妻は2024年に古希を迎えたが、特に手を加えなくても自然にアンチエイジングができていて、さすがに20~30代とまではいかなくとも、二回りくらいは若い顔立ちと脂の乗った肌、そしてプロポーションを維持していて、まだまだセックスできる美熟女の身体なのも驚異だ。

水泳の他に、ランニングやウォーキング、筋トレも欠かさず、自然食を愛し、食生活も事細かに持続してきた成果だ。

肌は艶がほとんど失せても、まだハリはあってシミは一切なく、目のまわりにちょっと小じわがあるくらい。

白髪は若干出てきているが染めており、またハゲも無く、下の毛はまだまだ黒くて、厭らしくボーボーと生やしてる。

オッパイは乳首がだいぶ茶ばんでいるが、まだツンとしていて、乳房は萎びていないどころか十分に弾力性を保っている中年女性並みの現状だ。

マンコの締まりの良さは健在で、ビラビラは元々控え目だが、あれほどヤりまくっているのに、まだ目立ったへたりは見受けられない。

おまけに妻の閉経は何と65歳だった!

こうして妻は絢爛熟女として素敵に歳を重ねている。

そういう自分も現在50代後半にして童顔なせいか、若作りしなくても40代と間違われる事がしばしばなので、嫁と一緒に歩いても違和感なく見られる。

以上が四十年以上にわたる性愛の遍歴だが、こうして若さを忘れない我々夫婦のスローガンは「生涯日々是セックス」なのだ。

息子も30代にして未だに女っ気が無いため孫はいないが、今日も白昼堂々、熟年セックスをした我々である。

これがその後から現在までの軌跡だ。

自分の経験上、姉さん女房はセックス上手に限る!

終わり。

 

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