仲見世の少女たち


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私が大学を卒業したのは22年前です。その大学生活の後半2年、私は幼い少女の青い性を玩んでいた一方、場末の盛り場の熟女達に若い性を玩ばれていました。
古くて狭いアーケードの横丁は、仲見世と呼ばれて、十数件の飲み屋、スナック、バーが軒を並べていました。私は、そこのスナックやバーの40代後半から60歳くらいまでのママ達数人と体の関係がありました。

大学が終わると、3時頃に仲見世に行きます。飲み屋は仕込みをしていますが、スナックやバーはまだ誰もいません。でも、そのうちの1件のバーだけは開いているんです。
そのバーは、カウンターの裏の階段から2階に上がれて、そこは10畳ほどの和室になっていて、私はそこで体を差し出していました。そこでは、いつも必ず誰かが待っていました。1人の時もあれば、3人の時もありました。50代の熟女の真っ黒いマンコは見た目はグロいですが中はかなり気持ちよく、中出しもOKでした。
1人の時は黙ってその方といたせばよいのですが、複数人いたときが大変なのです。たいてい私は縛られて、チンぐり返しにされて金玉と竿を悪戯されて、尻穴に色んなものを入れられます。
スーパーボールが連なったようなものを入れられ、ウンコを捻り出すように一つずつ排泄させられるのです。あと一つになると股入れられての繰り返し、惨めでした。チングリ返しのまま竿を扱かれて、自分の精液を浴びる悲しさはありませんでした。

でも、何故こんな仕打ちに耐えていたかと言いますと、毎週日曜日、ママ達がどこからか連れてくる訳アリの女の子とセックスできるからです。その女の子は、自称ですが下は小5、上でも中3でした。
2年間、私が抱いた少女は確か8人だったと思います。どの子が来るかはその日になってみないとわかりませんでした。私がその8人の少女全員の処女を奪ったわけではなく、自称小5が1人、小6が2人、中1が1人の4人で、残りは全員既に処女ではありませんでした。
そのうちの1人の話では、父子家庭で、小学生時代に実父に処女を奪われ、その後はバーの飲み代の代わりに差し出されているような事を言っていましたから、この子達は全員そうなのかなと思いました。

年端もいかない女の子が、大学生のお兄さんに裸を見られるだけでなく、股を広げられてまだ毛もろくに生え揃わないマンコを凝視されながら弄くられ、恥ずかしさの中にも気持ちよさを抑えきれず、あどけない体を喘がせるのです。
やがてお兄さんのチンポに串刺しにされ、始めは血も出て痛かったはずなのに、いつしかチンポの味を占めて、淫乱な少女になっていくのです。そして平日は、純真そうな顔をして制服の下にその淫乱な体を隠して生活しているのです。
学校の制服を着てきてとお願いしても、絶対に着てこなかったのは、どこの学校かばれるのを恐れていたのでしょう。

60歳近い黒アワビマンコの熟女も、12,3歳のタテスジマンコの少女も、私のチンポを入れられたときの反応は全く同じだったのがとても印象深く記憶に残っています。
彼女たちは決して美少女ばかりではありませんでしたが、それでも乳房もまだ膨らみかけの少女が、まだツブ貝のように綺麗なのマンコに男子大学性の成人チンポを入れられて、
「ア、アン、アアン、アアーッ」
大人の女と同じように、愛液をジュブジュブ泡状にしながら喘ぐのです。毎週日曜日にそんな経験ができるなら、月曜から金曜日の夕方、熟女の慰み者になるくらいどうということはありませんでした。

あれから22年の歳月が流れ、私にも妻子がいます。
先日、仕事で大学時代に住んだ町並みを歩きました。仲見世にも行って見ましたが、新しいビルが建っていました。あの頃のママたちはご健在でしょうか。あの頃の少女たちはどうしているでしょうか。そんなことを思いながら、彼の地を後にしました。

 

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