「高齢の母が私に打ち明けました。私の母には二人の兄がいました。それぞれに赤紙が来たとき出征するまでの間、絶対に行ってはならない離れの部屋に母の兄たちと祖母が閉じこもるようになりました。幼かった母からしてみれば母親を盗られたように思い、兄たちを恨めしく思ったそうです。二人の兄が出征した後、祖母は一時失踪したそうです。戦後、二人とも無事に帰還し、祖母もその後発見され再び一つの家族に戻りましたが、母にとっては不思議な期間だったと言います」
敗戦色が濃くなった昭和18~20年生まれで長兄と16歳以上離れている人は、3分の1の人が長兄と母親の間に産まれたとされています。これはかの有名な『白い巨〇』の原作者でジャーナリストでもある女性がかつて朝〇新聞上で述べていたらしいですね。
フリールポライターの『ゆう』とか『りん』とかいう女性の過去ブログにもありました。もう一度探してはみましたがみつかりませんでした。
当時は、出征する前は母親と風呂に入り床を一緒にする(性交渉の有無に関係なく)というのは半ば当たり前のようになっていたようです。年配の方からそういう話聞いた事ありませんか?
筆おろしは大概は娼婦、戦争未亡人か離婚女性に依頼していたみたいですが。生還するとは誰も信じていなかった時代でしたからね。避妊する方法も現在ほど確実じゃなかったし、女性の社会的地位も低かったので生活を依存できる男手が欲しかった母親も多かったのでしょう。
生命の危機が迫っていたり背徳的な性交渉は、二度と相手と出会えないかもしれない不安から、生殖機能が上がり避妊に失敗しやすいという研究もあります。厳しい言論統制下でも婦人誌や詩集では、息子と狂おしいひとときを終えた母親の複雑な心境を記した手記が掲載され、陰で反戦を唱えたものもあったらしいです。
敗戦間近の昭和18~20年の頃の特殊事情
811文字数:801
良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!
同じジャンルの体験談
トップページに戻る